〜私的「女性向け作品」考〜
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 1)疑問
私が「やおい」という言葉を初めて見たのは2001年の6月のことだ。DB文庫に初投稿するため注意事項を読んでいたら「やおいや過激な性描写のあるものは不可」とあり、やおいの意味がわからずネット検索をした。冗談のようだが本当である。
その後、「女性向け」とか「乙女」といった言葉にぶつかる都度、「主婦向けorOL向け」とか「若い女性」という通常の定義では解釈しきれないその用法から、その意味定義を把握していったわけである。

私は同人誌の世界をほとんど知らない。高校生の頃にコミケットは既にあったが、晴海会場に移る前の、今思えばあまりに可愛い規模だった。その後友人から、少年漫画を題材にしたボーイズラブの世界が横行していると聞いたが、興味も無いので実際の作品に触れたことは無かった。
それから20年以上の時を経て、いきなりドラゴンボールの二次創作を始め、こういった創作サイトを回るようになった私は、「女性向け」サイトのあまりの多さに驚いた。また2003年には初めてコミケットに行き、カタログの目次で「女性向け」サークルの割合の高さを改めて認識した。

多くの女性が男同士のカップリングを好んで書き、好んで読んでいる。私には理解しがたいが、女性向けがこれだけ普及している理由が何かは知りたいと思った。これは私なりの「女性向け」考察の結果である。
ただし以下では、作家や読者が同性愛者や性同一性障害であるケースは除いている。そういった人達の割合はそう高くはないので、同人サークルや創作サイトにおける「女性向け」の割合の高さを説明できないからだ。

 2)成熟型女性向け
いくつかの女性向け作品を読んだり、情報を聞いたりする中で、以下のような共通項に気付いた。

○「受け」は固定
・女性向け作品愛好家にとっては、自分が感情移入するキャラはほとんどの場合「受け」になっている。ある男性キャラを「受け」と決めたら、それは譲れないほど確固としたものであることが多い。女性向けファンサイトなどで「管理人は『○○受け』なのでヨロシク」などと注意書きがあるのは、この特徴を如実に示している。

○「受け」キャラは華奢
・オリジナルの場合は受けキャラは華奢な美形であることが多い。少なくとも攻め側よりは小柄になるように設定される。

○性描写にはリアリティが少ない
・性描写においては、受け男性が女性的な感じ方をしているケースが多い。男性と女性、またAセックスと通常のセックスでは、オルガスムスのあり方などかなり異なるのだが、その点で、男性同士の性行為を正しく追求しているやおい作品は少ない。


つまりこれらの特徴を持つ「女性向け」は、女性達の以下のような願望で生じたものと類推される。

A)男性になりたいという願望その他により、女性がある男性キャラに移入する。
B)しかし男性から愛されたいという女性的願望も残っているので、当該の男性キャラは「受け」の形で他の男性キャラに愛される形を取る。移入するのが一人の場合は「総受け」という状態も発生しやすい。

男性から愛されたいなら女性キャラに移入すればいいのだが、それだけでは物足りない。自分は男っぽいから男キャラの視点に立つと言うなら、そのまま女性キャラを素直に愛すればいいのだが、恋愛観も被保護欲も女性のままだから、男に移入しながら男に愛されるという不自然な状況が生まれる。
セックス観に至っては、受けはむしろ女性的な感じ方をしてくれた方が妄想しやすい。単語だけは"男"と"男"を使っているが、本質的には"男"と"女"であり、それこそが作家自身と読み手の快感を生む。

こういった女性的な「受けキャラ」は「精神的、肉体的に男性と付き合うことの幸せを認識している」女性だからこそ作り得るし移入できる。だからこのような女性向けを「成熟型女性向け」と定義する。これらが扱うカップリングは「男×男(女=実は自分)」である。

だが「女性向け」は高校生や中学生といった少女達の間にも蔓延している。この年齢の少女達が、全員、異性と肉体関係があったり、男女間の恋愛に関して成熟しているとは言えないだろう。ではこの少女たちが語る女性向けとはいったい何か。

 3)成長過程としての「女性向け」
男性同士カップリングを示す「女性向け」という言葉は極めて限定的で、同人系(Webに拡大したものを含む)の世界でのみ通用する。女性向けサイトの冒頭の注意事項によく見られる「当サイトには女性向けコンテンツがあります。同人的要素をご存じ無い方は‥‥云々」というフレーズは、(1)同人要素が判らなければ女性向けは判らない (2)同人世界では「女性向け」は非常に一般的である(同義のように使っているサイトも多い) という二つの要素を暗に示していて興味深い。

同人界における「男性向け」は、一般社会では「成人向け」で置き換えられる。だが一般社会で「女性向け」と言ったら主婦やOL向けという意味で「同人的女性向け」とはかけ離れている(「成人女性向けゲーム」とやらのCMを見たことが有るが、これは男女の性行動を扱うものだった)。
同人誌即売会は既に20年以上の歴史を持ち、初期からボーイズラブは存在した。それに携わっていた人達は十分大人になっているのに、なぜ「女性向け」は一般社会には広まっていないのか。

「女性向け」はマニアックだから広まらないという意見があるかもしれない。フィギュア・フェチの男性が存在しても、レンタルビデオの成人用コーナーにフィギュアものがずらっと並んだりはしないのと同じだ。しかし同人誌即売会の現状を見ると、少年マンガ系のジャンルでは「女性向け」の方が多い。7割もの人間が「女性向け」を扱うなら、それが一般社会に持ち出されない方が不思議に思えてくる。

現象から類推するに、同人誌即売会で扱われる「女性向け」の多くは、単に少女が成長期に遭遇する一時の「過程」ではないかと思えるがどうだろう。成長して実際に男と付き合うにつれて○○×○○の世界から卒業していく。または正しくマニアックな女性向け=「成熟型女性向け」に移行する人もいるだろうし、磨いた性描写力を用いて「男性向け」(一般社会では成人向け)の世界に転身する人もいるだろう。
少女達が思春期に通過するこのような「女性向け」を「過渡期型女性向け」と定義させてもらおう。そしてこれが、現在の「女性向け」のかなりのパーセンテージを占めているのが実態かと思う。

 4)過渡期型女性向けの存在理由
思春期と言われる年代。少女は男性に対して、興味もあるが嫌悪や恐怖もあるといった一種アンビバレンツな感情を抱く。「怖さ」の実体は実は「自分自身の肉体的&精神的な女性性を認めることへの畏れ」だ。人を愛することは時に苦しい。処女喪失への抵抗感もあるだろう。肉体的な女性性を認めない極端な形が「コウノトリの運んでくる赤ちゃん」幻想とも言えるだろう。

一方で少女は"おませ"な生き物である。経験が無くても友達と話す時は精一杯知ったかぶりをする。情報社会になって未成年の耳にも色々入るご時世になれば、「知らない」なんてカッコワルイ。だが、男女の枠組みで語る限り、自らの女性性は否が応でも俎上に上がる。「XXって何するか知ってる?」と言えば、当事者になっている自分はどうしても頭に浮かぶだろう。知ったかぶりをする度に自分の女性性と直面するハメになる。

・男のことを色々知りたい、話したい。
・性について何も知らないオクテとは思われたくない。
・だけど、自分の女性性を認めるのは怖い。

極めて少女的なこれら3つの願望を満たす手法が「過渡期型女性向け」であると考えられないか。
男のことを散々妄想できる。内容が「えっち」であればあるほど自分は"遅れてない"と安心感が持てる。でも素材は男同士だから、女である自分の感覚は切り離されており、自己認識という葛藤に直面しないですむ。
実世界では低い割合の男性同士の愛が、思春期の少女たちの願望と逃避の絶妙のバランスを満たすシチュエーションだった訳だ。

身近に実在する人間では妄想しにくい(OKな強者もいるのかもしれないが)が、マンガやアニメならまさに絵空事だから考えやすい。でも原作は男性同士が愛し合っている訳ではないから、自分が作ろう‥‥。そういう少女達が同人世界に流れ込む。また、元々少年向けの作品を対象に同人活動をしていた少女は、「過渡期型女性向け」に走る可能性が高いとも言えるだろう。自らの女性性を認めたくないから、少年向け作品を好んでいたと考えられるからだ。

そんなこんなで同人界という絶好の場を得た少女達は「過渡期型女性向け」に群がる。自分自身の性を認識することから遠ざかろうとする彼女たちの自己防衛は、形を変えた「コウノトリ幻想」の潔癖さだ。女性向けを意味する「乙女」という言葉はまさに言い得て妙であったと感心する。それは決して"乙な"女などではない。極めて少女的な自己防衛である。

 5)逃避型女性向け
「成熟型女性向け」にも同一視といった防衛機制的な要素が含まれているとは思う。それでも"受け男性キャラ"はすなわち自分であり、愛されることの喜びも慈しむことの優しさも、自分自身のリアルな感覚に根ざしている。そして「過渡期型女性向け」も多くの少女が通る道として納得できる。
私が唯一問題視するのは「過渡期型女性向け」に熱中した少女が「成熟型」にも移行せず、自己分析もせずにそのまま年齢を重ねるケースだ。年齢が進んでも過渡期の状態にずっと停滞するこの状態を「逃避型女性向け」と定義したい。

女の年齢になっても自らの女性性を認められず、少女であり続けようとする。時に自分は男だからと言ってやおいを語る人までいるが、世の中の何%の男性が男性同士の愛を夢見るのかを考えれば極めてナンセンスだ。男のようになりたいと熱望して女性を愛するなら、その方が全く自然だろう。
仕事とか勉強とかスポーツといった傾注したいことがあって、恋愛なんか考えるヒマもなく、自分の道を邁進している人は沢山いる。全てに興味が無かったり、どう生きようかと藻掻き足掻いている時期も、はやり恋愛のことなぞ考えないだろう。それはそれで全く問題無い。

だが同性愛者でも性同一性障害でもないのに、男女の恋愛には興味がないと言って、男同士の愛に熱中するというのはいったい何か。抑圧や劣等コンプレックスが根っこにあると考える方が自然ではないか。
ホンネでは恋をしたい、男と付き合いたい。だけどそれが叶わぬので「興味が無い」という一言で押し込める。川の向こうの熟れた葡萄に手が届かず、あんな酸っぱい葡萄はいらないと言い張って、こちら側にあるまだ未熟で若い葡萄に砂糖をぶち込んで食べている状態。凝り固まれば男女の恋愛は想像すらしないようになっていき、自分の中にある恋心を認めることも難しくなっていく気がする。

もちろん一生そのまま行っても決して誰かに迷惑がかかるわけではないのだが、もし「女性向け」というジャンルが確立していなければ、ここまで凝り固まらずに済むのではないかと思うと、複雑な気分になる。
だから「"なんとなく"○○×○○なの」という過渡期的女性向け少女達には、自分の中に芽生える現実の「恋する気持ち」に敏感であって欲しいし、それを大事にして欲しいと思う。現実の誰かを好きになれば、本当に色んなことを考える。自分のことも顧みる。それはそれでとても良い経験だと思う。
何より自分の本当の願望から目を背けて居続けることが、カッコイイことだとは私には思えない。

 6)余談
成熟型は自分の女性性を残したまま男性キャラに移入する。過渡期型は自らの女性性を否定するために異性同士の愛を語り、逃避型はそこに凝り固まる。なぜここまで自分の性を否定し、異性と自分を同一視したがる女性が多いのか。これは非常に興味深い現象である。

一般的に見ても、自分を男っぽいと評する女性は居ても自分は女っぽいと言う男はあまり居ない。私自身も自分が男性的思考をすると思っていて、それを好ましいと思っているし、仕事で「○○さんは普通の女の子だからね」と言う時、そこには否定的な意味がこもっていたりする。
他にも少年漫画ファンの女性に比べれば少女漫画ファンの男性は少ない。マニッシュなスタイルをする女性は居ても、男性でフェミニンな服装をする人は居ない‥‥。この非対称性は一体なんなのだろう。

ジェンダー論者に言わせれば「男性優位社会による有形無形の差別意識」ってな結論になるんだろうが、30年前ならいざ知らず今のこの時代でそれは無いんじゃないかと私は思う。社会的要因以外に根本的な所で何かあるような気がしてならない。
その点については納得できる理由が見つからない。しかし、全ての人間は受精後女性として発生し、Y染色体を持った個体だけが途中で子宮が衰退して男になる。生物学的には男とは子宮の退化した女なのである。そんなことを考えると、何か皮肉な面白さは感じる。
初出:2004/4/4 改稿:2004/7/20 (戻る)