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光の子
「じっちゃん! とってきた!」 「おお、こりゃ、大きいのを仕留めたのぉ! よしよし。今、準備するでの」 「ヤムイモ、もうやけたか?」 「かなり大きなイモじゃったから、もう少しかかるじゃろ。あっ 触っちゃいかん! 石が熱いから火傷するぞ。そうじゃ。もうちょっと薪を拾ってきてくれるかの?」 「うん!」 孫は自分の身の丈を越えるほどの魚を2匹川辺に置くと、長くて茶色の尻尾をゆらめかせながら、野原を横切って木々の中に消えていった。年明けの寒空の中というに、長袖の中衣の上に肩衣を1枚着ただけ。綿入半纏も作ってやったのじゃが、暑がって着ないのじゃ。 あの子を森の中で見つけてからもう十年近くが過ぎようとしておる。いったいどんな素性の子なのか。尻尾のある人間なぞわしも聞いたことがないし、御歳八百歳になられる武天老師さまも知らぬと仰っておられた。もちろん警察にも届けは出したがの、案の定音沙汰無しじゃ。でも、それでよかった。 あの子は‥‥。悟空は、わしの孫じゃ。修行一辺倒で子を生さなんだわしに、この歳になって神様が授けてくれた、大切な孫。それでよい。 わしは悟空が捕ってきた魚をさばき始めた。パオズアオダイはコウザンバショウの葉で包み焼きに、パオズコイモドキは鍋にするのが美味しいんじゃ。特に今日は元日じゃから、あとでモチも入れような。こんな大きな魚をさばく時はちょいと前に手に入れたこの包丁が便利で‥‥。ほうほう、その通り。これは普通の剣じゃよ。これで強盗をやろうとした者めらがおって、そやつらから頂戴したものなんじゃ。まあ、そんなことはどうでもよいじゃろ。 正直に言うとな。悟空はなかなか大変な赤ん坊じゃった。泣き声が大きかったのは山奥だから構わんが、えらく力が強くて乱暴者でほとほと手を焼いた。ちょっとでも気にくわないことがあると周囲の物を手当たり次第に投げたり毛布を引き裂いたりする。寝台の囲いなぞどれだけへし折ったかわからん。抱き上げると手足を突っ張って嫌がるが、それが並大抵の力ではない。普通の女性では面倒が見切れなかったかもしれん。 二歳になる前に走れるようになってのう。麓のコチュばあさん(若い頃はえらい別嬪じゃったんじゃぞ)に聞いたら発育が特別に早いそうなんじゃ。だからわしも、まさかあんなに速く走ると思っとらんかった。ちょっと手を放したスキに急に走り出し、そのまま崖から落ちたんじゃ。 真っ青になって降りたら、小さな小さなあの子は河原に倒れとった。左の側頭部から出血して、左肩も砕けとって‥‥。病院ではお医者から助かる確率は低いと言われた。あんなに自分を責めたことは無い。普通の子とは違うとわかっていたに、なんでもっと気をつけてやらなんだか‥‥。 だが悟空は生き延びた。一週間近く意識不明で高熱が続き、それでも生き延びた。信じられない生命力じゃった。 今でもあの時のことは忘れん。意識を取り戻して目を開いたあの子は、泣き喚いてわしにむかって手を伸ばした。てっきり腹がへったのだと思ってミルクを用意したら、違った。あの子はわしに抱いて欲しかったんじゃな。 それ以来じゃ。悟空から乱暴なところが消えたのは‥‥。 もちろん力が強いところは変わらん。だが、ちょっと待つように言うと大人しく待つようになった。むやみと物を壊してはならんこともわかってくれた。悟空はああ見えて実はとても賢い子じゃ。なんというか、物事の因果関係を短時間で把握できるのじゃな。あとはえらく人懐こくなったかの。夜も自分からわしの布団に潜り込んでくる。一人にしておけない訳ではないのじゃが、とにかく誰かの傍にいるのが嬉しい様子なのじゃ。 怪我がすっかり良くなってからは修行も始めた。始めて、驚いた。じつに良い筋をしておる! 型も一度やって見せるとすぐに覚えてしまう。特に感心したのは単調な動きでも飽かずに繰り返し取り組むところじゃ。以前町で、もう少し大きな子供達相手に教えたことがあるが、こんな子供は見たことがない。悟空は驚くべき熱心さで修行に打ち込んでいった。道を過つことがなければ、あの子はきっとわしを遥かに越える使い手になる。そう確信しておる。 修行の一番の目的は、あのとんでもない力を如何に加減させるかということじゃった。力のある者が、力の無い者に対して理不尽な暴力を振るうのは、決してしてはならぬことじゃ。わしはことある毎にそれを悟空に説いた。だが結果的に、最も効果的にそれを悟空に教えたのは動物たちだった。 悟空は動いているものにはなんでも興味を持った。動物と見ると近づきたがった。時には平気な顔で熊などに近づいて、わしをびっくりさせることもあった。不思議なことに動物たちのほうもあまり悟空を嫌がらない。お互いに同じように感じ会える何かがあるんじゃろう。 だが、哀しいかな。悟空の方にその気はなくても、あの力じゃ。小鳥などうっかりすると絞め殺してしまう。なんどか不憫な出来事を経て、力を加減しなければ相手を殺してしまうことをあの子は覚えていった。そうこうするうちに、傷ついたものを見れば、ごく自然に助けてやろうとする様子も見せるようになった。 あの頃のわしは、悟空の本質がどこにあるのかと悩み続けていたように思う。赤子の頃の破壊を好む様子が悟空の本質だとしたら、その凶暴さが生きているものに向いたらどうなるのか。だから狩りをする時も悟空の見ておらんところでやった。何かを殺すという行為は見せんようにしとった。それはわしの迷いと怯えの顕れじゃった。 赤子の頃の粗暴な性格‥‥。もしあのまま成長したとしたら、わしは悟空をきちんと教え導けたのか。だからと言ってあんな怪我をさせたことが良かったなど言えるはずもない。今の悟空は悟空本来の在り方ではない。だが今のあの子のあの愛らしさはどうじゃ。好奇心は旺盛だが実に素直で聞き分けも良くて‥‥。だがしかし‥‥‥。 当時のわしはずっと複雑な思いを抱えたままじゃった。 「じっちゃん!」 たたたっと軽い足音がして、悟空が森から走り出てきた。なにかのツル植物をほとんど靡かせるように頭上に捧げ持っておる。 「じっちゃん! ほら!」 「おお。クサアケビか!」 丸ごと引っこ抜いてきたらしい長いつるには黒く色づいた実がたくさんついておった。裂開はせんが甘くてとても美味しい実なのじゃ。 「これ、抜いてもいいヤツだろ?」 「そうじゃそうじゃ。クサアケビは一年草じゃ。また来年伸びてくる」 悟空はつるの固まりを地面に置いた。この子の力なら小さな灌木ぐらい引っこ抜ける。だがそうしたら来年はその実は食べられない。でも草なら大丈夫。教えた色々なことを悟空はちゃんと覚えておる。 「しかしこんなに沢山実ったまま、よく残ってたの!」 「シマシマ岩のまんなからへんにあった」 「ほお。あそこじゃ熊たちじゃ届かんかったろ。わしでも難しそうじゃ」 「オラ、のぼれる!」 「そうじゃな。悟空なら大丈夫じゃな」 悟空は得意げに鼻をこすると、実を二つもぎ取り、一つをわしに差し出す。皮は手で簡単に剥けて、かぶりつくと濃厚な甘味が口の中一杯に広がった。 「これはうまい!」 そう言ったわしを見て、悟空は心底嬉しそうに笑う。もう一つを丸ごと口に放り込むと頬を膨らませてもぐもぐとやっている。ごくんと飲み込み、またにいっと笑った。 「で、悟空、薪はどうしたんじゃ?」 「あっ シマシマ岩んとこ、おいてきちまった! とってくる!」 「気をつけてな」 まるで乗り物の駆動機の音でも聞こえてきそうな勢いで、悟空はまた森の中に駆け込んでいきおった。 五年以上も前になるか。ある夏の日のことじゃった。麓の町でちょっと大きな事故があって、たまたま居合わせたわしは怪我人の手当で帰りがすっかり遅くなってしもうた。炊き出しの大きな握り飯を沢山もらったわしは、疲れた躯に鞭打って大急ぎで山を登って帰ってきた。かるい朝飯のあとすぐ家を出てしまったで、悟空が妙なものでも食べとりゃせんかと、かなり心配じゃった。 家の近くまで来た時、夕暮れの風の中に生臭いものが混じっているのに気づいた。血の臭いじゃ。虎か竜か、悟空が何かに襲われたのか! 老いた心臓がドキドキしてきて、わしは駆け出しはじめた。 「じっちゃん!」 甲高い声と共に走ってくるのは悟空じゃった。わしは思わずほっとしてその場にへたりこんだ。 「じっちゃん!」 飛びついてきた小さな躯を抱きしめたわしを異臭が包んだ。悟空の躯を引き離してみると、あちこちに血がついておる。 「悟空! どうしたんじゃっ! 怪我はっ!?」 「けが? オラ なんともねえ」 「この血はどうしたんじゃ!」 「メシ、とったときに、ついた」 悟空はわしの手をひくと、にっこり笑った。 「じっちゃん、まってたんだぞ。ハラへった。はやく」 庭まで回ったわしは、あっと叫んだ。そこには兎や山鳥などの小動物の骸が十を超えて転がっていた。いったいどうやったのか焚き火まで起こっている。 「ほら、な? じっちゃ‥‥」 「悟空っ! なんで、こんなことを!?」 わしは悟空の言うことを聞いておられんかった。狩り方なぞわしはまだ教えていなかった。それにこの数。これはもう殺すことそのものが楽しくなってしまったとしか思えない。赤子の頃の粗暴さが蘇ってしまったか。わしは完全に動転していた。 「だって、オラ、ハラへって‥‥」 「ウソを言うな! こんなに食べられるはずがなかろう!」 わしは悟空の両肩を掴んで揺さぶった。 「弱いものを面白がって殺めてはいけないと、あれほど言ったろうに! お前はっ」 「ちが‥‥。オラ‥‥‥」 「悟空っ!!」 「ちがやいっ!」 悟空はわしの手を振り払うと空を仰いで喚いた。 「オラ、ハラへっただけだっ」 そうしてあの子は捕った獲物に喰らいついた。わんわんと泣き喚きながら、驚くべき勢いで、次々に動物たちの身体を平らげていく。 わしは言葉もなく、ただ悟空を見つめていた。 顔中を血まみれにして喰らい続けるその様は、まさに悪鬼の様相。だが、それは他者の命を自らの命の糧とする肉食獣としたら、ごく自然な情景とも言えた。子供は延々と食べつづけ、延々と泣き続けた。出会ってからこの方、この子がこんなに涙を流したことは無い。わしに理解されなかったが故の悔し涙じゃ。たくさんの獲物を目の前に、空腹を抱えたまま、悟空がわしをひたすら待っていたのも事実なのじゃ。 他者を喰ろうて生きる。それもまた人であるなら、先程のわしの怒りは、いや、それまでわしが悟空に教えてきたことも、ただの薄っぺらい偽善であったかもしれん。 いつしか沢山の獲物が、その小さな身体の中にほとんど消えてしもうた。 「悟空‥‥」 立ちつくした小さな背中が、えっくえっくとしゃくり上げている。 「ほんとうに腹がへっただけだったんじゃな」 悟空は背中を向けたままこっくりと頷いた。 「悟空。わしが悪かった。悪かったの」 「じっちゃん! じっちゃ‥‥。‥‥うわあぁあん‥‥‥‥」 振り返ってまた泣き出した悟空をわしはしっかりと抱きしめた。 驚異的な力と生命力と、生きるものとしての純粋さと、素直であけっぴろげな喜怒哀楽と。 なんとも言えない、不思議な存在を、抱きかかえている気がした。 これはもう、何を装うこともなく、真っ正面からぶつかって育てていくしかないんじゃと、わしは思った。この子がどんな理由で捨てられたのかはわからん。だが、わしがこの子に出会ったも、あんな怪我を負わせてしまったのも、そしてこれから先、わしがこの子に残してやることも、全てが運命と言うなら、わしはわしが正しいと信ずるものを、まっすぐに伝えていくしか術がない。 それ以来、わしは狩りでもなんでも悟空を連れて行くことにした。全ての命あるものには尊厳があり、慈しむ時も食する時もそれを蔑ろにはできぬ。数の多いもの、ある程度年老いたもの、はたまた大きな個体のもの。種の存続をよく考えて狩りをすること。同時に食べられる植物や果実、野菜の類についてもよく教えたし、実際に畑を耕して作物を育てることも一緒にやってきた。 悟空は素直に生真面目についてきてくれている。この子の本質がいったい何であるかなど、悩むのはとうにやめた。時間があれば色々な話をするようにもしている。昔話や町で実際に起きたことなど本当に種々雑多のことじゃ。それらに対して悟空が口にする感想や、日々の生活の中で下す判断を見ていても、この子は大丈夫だと思える。あと1年ほどしたら町に連れて行ってやろう。そこでまた少しずつ、色んなことを覚えてゆくじゃろう。 「じっちゃん! とってきた!」 孫の声で我に返った。荒縄で器用に括った枯れ枝の束を悟空はどんと火の傍に置いた。 「じっちゃん。オラ‥‥」 「ハラへったじゃろ。よしよし。もう食べられるぞ」 「やったー!」 わしは大きな椀にパオズコイモドキの鍋をよそう。目の前に置かれた椀から立ち上る湯気を胸いっぱい吸い込むと、悟空は両手を合わせてぴょこりと頭をさげる。 「オラ、おめえを喰っちまうけど、ありがとな」 そういうと椀を持ち、ふうふうと吹き始めた。 「悟空、今日はもう一つおまじないがいるんじゃ」 「なんだ?」 「アケマシテ、オメデトウゴザイマス」 「アケヒメマス? オラ、アケヒメマスはとってねえぞ?」 悟空が眉根を寄せて、いかにも困った顔をするので、わしは吹きだしてしもうた。今は食べ物のことしか頭に浮かばんらしい。 「今日は正月じゃ。元日じゃ。年に一度だから、忘れたかの」 「ショウガツ‥‥。あ、モチ食う日だ! そうだろ!」 「ほいほい。ちゃんと入っとる。慌てて喰うと喉につまらせるぞ」 「うん!」 孫は箸をとり、嬉しそうに食べ始めた。 高くなってきたお日様が、そんな悟空を正面から照らし、白く包んだ。 陽の光は種々の色の光が重なって透明になっているという。色が入り交じって無色になるとは不思議な気もするが、陽光が別れて鮮やかな虹が生まれるなら、きっとそうなのじゃろう。 悟空も、光のような子なのだと思いたい。不思議な尻尾や驚異的な力、生来持っていて今は隠れてしまった粗暴さ、例を見ない素直さと明るさ‥‥。そういった全てが入り交じって、人を惹きつけずにおかない不思議な魅力となっているのなら‥‥。 わしの可愛い悟空よ。 願わくばずっと、今のその光を光のまま、持ち続けていって欲しい。 その類い希なる、光を。 ===***===(了)===***=== 2004/1/2
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