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カベルネ♪メルロ♪グルナッシュ♪
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「ちょ、ちょっと、カベルネ、だめだよ! ちゃんと歩いてったら! からまっちゃうよっ」 教え子が子犬に振り回されている。 振り回しているのは私の愛犬ブランカの一番上の息子だ。そろそろ生後四ヶ月になり、今日はじめて引き綱をつけた。こちらの意図に反して進んだら、多少キツク引っ張っても言うことを聞かせなければ訓練にならないのだが、この学生にはそれができない。 彼の名は孫悟飯。今春、私が籍を置く西都大学に入学し、私の講義である「分子生物学基礎」と「大脳生理学I」を受講している。 やれやれ、出かける前に一通り教えたのにな。あれじゃ訓練も何もあったもんじゃない。この私を見てみろ。2匹もの子犬をきちんと歩かせて・・・・・・。 「タオ! グルを踏んじゃうわよ!」 後ろからの声に上げた右足をそのまま止めた。末息子のグルナッシュが左足のほどけた靴紐をかじっている。慌てて引き剥がすと、子犬はその興奮を姉のメルロにぶつけることにしたらしく、取っ組み合いになった。頭をかいて後ろの女性に礼を言った。 「やれやれ。どうも、ブルマさん」 「やっぱ最初は大変ねー! あたし、ブランカにしといてよかったわ」 銀色の機能美に溢れた大型犬を引いて歩いてくるのは、これまたエネルギーに満ち溢れた感のある美しい女性。私の研究に援助をしてもらっているカプセルコーポの副社長。私の最も尊敬する科学者の一人でもある。天才的な工学センスと気の強さと自信に満ち溢れる一方で、類まれなる懐の深さを持つ空前絶後の女性である。 日が傾くと吹き寄せる風はもうすっかり秋の匂いだ。研究で行き詰まっている時でさえ、カプセルコーポ第3実験場のこの広大な敷地を眺めれば、爽快な気分になってくる。 「ねえ、タオ博士。もうカベルネたちの引き綱とっていいでしょう?」 「悟飯、おまえね、まだ10分しか歩いてないだろ」 「だって、もう広場についちゃったし、みんな遊びたがってるし・・・」 「わかった、わかった。もう、犬の訓練する時は、おまえには頼まないよ!」 「やった! ほら、カベルネ、いいって!」 嬉々としてカベルネのリードをはずし、早足で私の側に来るとメルロとグルナッシュを開放し、あげくの果てにブランカも解き放つ。 「おいで!」と一声。4匹の先頭に立って、教え子が駆けて行く。 ブルマさんと並んでベンチに腰掛けた。戯れる4匹と1人を見ながらブルマさんが笑う。 「あーゆーとこ、ホント父親にそっくりだわ。孫君もいつまでたっても子供みたいで・・・」 ブルマさんと悟飯の父親とは幼馴染なのだそうだ。彼女の彼を見る目は時に母親のようでもある。 「じゃあ母親が一人常識人で苦労してるってわけですか? なんか想像つくな、悟飯の親父さん」 「その想像、絶対間違ってるって保証するわ。 もうマジで桁外れな父親なのよ!」 「なるほど。これ以上ないほど桁外れな貴女がそう言うなら、そりゃよっぽど・・・・・・」 いきなり頭をはたかれた。とてもこの年齢の人間のすることとは思えない。・・・・・・いや妻に言わせると私も人のことは言えないそうなのだが・・・・・・。分野は違えど、ブルマさんと私は、仕事に対する考え方がよく似ている。彼女とはいくら話しても話題につきることがなかった。 教え子は相変わらず喜び一杯の「犬まみれ」状態だ。彼にかかると人間も動物も同じ生命として区別がない。まあ、私も生命は細胞の集まりによって成る一つの「系」と思っているし、恣意的な人間の「精神」といったものは信じていない口だが、彼にとっての解釈は理屈でなくむしろ本能に近い。 丁寧でやわらかい物腰に好感は持ったが、最初は目立たないごく普通の学生に思えた。非常に勉強熱心で何人かの「デキル」仲間と連れだって講義の後によく質問にきたものだった。そのうちに、この学生の言動や表情の変化に妙に心を惹かれる自分に気付いた。 研究や学問を志す者なら、多かれ少なかれ知識に自負を持つものだ。特にこのくらいの年齢ともなれば、自分の知識をさりげなく示してみせては可愛らしい優越感に浸ってみたりする。それは決して不愉快なものではないし、より高みに成長していく上でのひとつの過程だと私は思っている。 だが、この孫悟飯という学生はそういうこだわりが希薄だった。これだけ成績優秀でありながら、その事実は彼にとって殆ど意味がないようだった。時々えらく常識知らずなことがあって皆を驚かせたりするのだが、そんな時も悪びれるでもなく気負うでもなく無邪気に聞き返し、素直に感動する。 彼がカプセルコーポの居候だったためプライベートで会うことも多くなり、私はますます彼に興味を持っていった。この若さにして自分に起こる事柄をありのままに受け入れていくその風情。けっして自我が無いとか諦めているといったマイナスの感じはない。どこか不思議な印象のある少年だった。 悟飯がポケットにねじ込んできたスポンジのボールをいくつも取り出し、あちこちに放り投げては4匹の犬を走り回らせる。犬たちにとっては1対1で遊んでもらっているのと同じ感覚だろう。そのくらい彼の身体能力は驚異的だ。その上、自分の四方に広がった4匹のそれぞれの状況を完全に把握している。オリンピックに出れば全ての個人種目で金メダルを取りそうだ。とはいえ空を飛んだり、光のボールを作ったりするのに比べれば、この運動能力はまったく常人の域なのだろうか。 「そういえば、悟飯君、タオにすごく感謝してたわよ。力を見せちゃったのに、 全然変わらないで接してくれて、すごく嬉しかったって」 「いや、初めて見た時は正直言って相当動揺しましたよ。ただ、なんかあいつを見てると、 それはそれでいいか、みたいな気になっちまってね。生物系の学者としては失格ですかね」 この夏のことだ。ブルマさんのやっていた実験の関係で彼に感覚刺激のテストを行ったことがあった。彼の脳に電気的に悲しみの感情を生じさせた時、普段の様子からは想像もできない苦悩を示した彼は、そのまま椅子の肘掛けを粉々に握りつぶしてしまったのだ。 あとからブルマさんに、この穏やかな学生についての信じられない話を聞いた。10年前にセルという化け物が出て大騒乱になった時に、それを倒したのがまだ10歳になっていなかった彼だったこと。その時、彼の父親が爆発に巻き込まれて行方不明になり、死んだと思われていたこと。彼が父親の死を自分の責任と感じていたこと。そしてその父親が3年前ひょんなことで戻ってきたこと・・・・・・。 「私はね、悟飯のことを見てて、幼い頃から何の苦労も不自由なく、ひたすらに愛されて、 幸せに育てられたんだろうと思ってたんですよ。ずっと満たされてきたから自分を主張する 必要がなくて、そのまま今に至ったんだろうってね。でも実際は全然違っていた・・・・・・」 「でも、ひたすらに愛されてってとこは当たってるわよ。とにかく孫君もチチさんも、あの子を すごく愛していたし、彼を自分の息子のように気にかけてるヤツもいるし。なんていうかな、 小さかった頃のあの子は、あたし達にとっては全員の子どもみたいな感じがあったのよ。 でも、彼が、幼い頃から生死の瀬戸際を経験させられてきたのも事実なの」 「そんな経験して、あんなに穏やかでいられるのは、どうしてなんでしょうね」 「さあね。ただ、今のあの子は色んなことに感謝してる。それが大きいのかもしれないわね」 「感謝?」 「平和で、好きなことができて、自分を大事にしてくれる人に囲まれていて、そのうえ父さんまで 戻ってきてくれて、こんなに幸せでいいのかって、少し前によく言ってたもの」 常人には計り知れない幼少時代を送ったからこそ、ただ普通に生きていけることだけで、ひたすらに嬉しいのか。幼くして大きな悲しみを知ったが故に、我々が時に心惑わされる日常茶飯事の小さな劣等意識や嫉妬や憎しみも、些末なこととして、知らず流れていってしまうのか。 「それでもやっぱりそういう思考に行き着くのは、DNAになんか刻みつけられてる気がするな」 「ああ、それは筋金入りね。『太陽』と『水晶のような心』ってのが、孫君のキーワードだもん」 「ま、太陽ってのはちょっと違う気がしますけどね。まあ『生まれつき神に愛されている人間は 神に近づく努力をする必要はない』ってとこですか?」 科学者の私が神と言えば、それは偶像化された神とは違う。因果律というか、真理そのものと言えばいいか。かつて「私は神のパズルを解きたい」と言った天才科学者がいたが、数学も物理も哲学も宗教も、所詮はその同じ真理をを求めているのだろう。そこに近づくのに数式を使うか言葉を使うかといった違いだけだ。なのに真理は言葉でも数式でも表現し得ない。だからみんな当たらずといえども遠からずの場所にしか到達できず、喧々囂々やりあうハメになる。 ただ、時々いるのだ。自分ではそれと知らず、驚くほど真理のそばにいる人間が。 「ねえ、博士、グルナッシュ、疲れちゃったみたいなんです。ちょっと遊ばせ過ぎちゃった」 グルナッシュとカベルネを両肩に抱え、メルロを帽子にしてバランスをとりながら歩いてくる。 「あーあ、神様も物好きだ。なんだってこんなエスキモーみたいなヤツをひいきにしてるんだ!」 「は? なんの話ですか?」 「なんでもないのよ、悟飯君」笑いをこらえてブルマさんが言う。 「それより、今日の夕飯、3人で食べない? 実は色々作ってきたのよ」 「え? ベジータさんたち、いいんですか?」 「大丈夫、大丈夫。あたしだってたまには他人のダンナと飲みたいわよ。 タオ、あんた相変わらずワインに凝ってるんでしょ? それ目当てで来たんだからね」 「もちろんですよ、マドモワゼル。あ、一本、ちょうといいのがある! あれ開けましょう!」 「いいのかなぁ。ベジータさんにウェイ博士、怒らないかなぁ・・・・・・」 「おまえってほんと、子どもだよな。あと30年ぐらいしないと、こーゆー楽しみはわからんか」 私の言葉に教え子がふくれた。 ***===***===*** 私も悟飯も台所仕事が得意だったりする。で、ブルマさんがカプセルから取り出した美味しそうな料理を3人でてきぱきと並べた。作業は効率的に進むのだが量がハンパじゃないので時間がかかる。私のリビングの作業台を兼ねた大きなテーブルが、みるみる料理で埋まっていく。これをたった3人で食べきれると思ってるんだろうか、この人は? 「へえ、ちゃんとクロスまでかけるなんて偉いわね。ウェイさんの躾がいいんだ」 「これは私の趣味ですって。開けたワイン、けっこうな年代物なんですから」 「そういえばウェイ博士、来月、帰ってくるんですよね?」 「ああ、また、こっちには一週間ぐらいしかいられないらしいけどな」 妻のウェイは動物行動学者だ。今ヤッホイ島で、ワオキツネザルの群の調査をしている。1年間、群れと一緒に過ごして、その行動と生態の記録をとり続けるのだ。 「いいなぁ。僕もウェイ博士みたいな調査チームに参加したいな!」 「来年の夏休みでも、何か一緒に行ったらどうだ? ウェイもおまえのこと気に入ってるし、 そのうちメールで聞いといてみるよ」 「ほんとですか! あ、ヤッホイだって1時間ぐらいで行けますよ!」 「あ、そ。おまえホントに便利ね。こんど使いでも頼むかな」 ちょうどブランカの出産の前後に1週間ほど帰国した時、ウェイは悟飯と会っている。もの静かだがこれと決めたことはなんとしてもやり遂げる芯の強い女性だ。どれだけの時間と距離を隔てても、私の心は常に彼女とともにある・・・・・と、面と向かってはなかなか言えないのだが・・・・・・。 「さて、じゃあ、どうぞ」 ブルマさんのために椅子を引いた。彼女が目で軽く謝意を示して、ごく自然に腰掛ける。つなぎ姿でメカと取っ組み合う彼女も魅力的だが、こういう彼女もまたじつにいい。 「さ、どんどん食べてね!」 「いっただきまーす!」悟飯は嬉しそうに、所狭しと並べられた料理をぱくつきはじめた。そんなペースで食べたら、すぐお腹いっぱいになっちまうぞ。 私は帰宅してすぐにデキャントしておいたシャトー・カミル・ジェイエの19年ものを軽くテイストした。オーケー、支度に手間取ったのは幸いだった。ちょうどよくなじんでいる。ブルマさんのグラスにそのガーネットの液体を注ぐ。 「・・・・・・うーん、絶句ものね。これは凄いわ・・・・・・。この深みのある丸さは、新しいワインじゃ 絶対出せないものね。こんなの飲んじゃって、ウェイさんに怒られない?」 「あと2本あるから大丈夫。ウェイはあんまり飲まないし。気に入ってもらえてよかったですよ」 「でもそのグラス、ほんとにでっかいなぁ! メダカ2匹ぐらいなら問題なく飼えますよね!」 「あのな、ワイングラスでそーゆーこと考えるか、普通?」 いきなりワインの中で酔っぱらって泳ぐメダカを想像してしまった。このバカモノ。ワインの香りを楽しむためにはグラスの中に空間が必要になるんだ。べつに伊達で大きいワケじゃないんだよ。 「悟飯、おまえも少し飲んでみる?」 「いいです。僕、まだ未成年ですから」 「いーからいーから、ちょっとだけ飲んでみろって。今日これを開けたのは意味があるんだから」 「そういえばまだワインの『講釈』聞いてなかったわね」 「このワインの原料の葡萄はね、カベルネソーヴィニヨンとメルロとグルナッシュなんですよ。 カベルネとメルロの混醸はよくあるけど、グルナッシュが入ってるのは珍しいんだ」 「へー! あの子たちみんな入ってるんですね? すごいや! じゃあ僕もちょっとだけ」 「でも、なんで白ワインの葡萄名にしなかったの? お母さんブランカなのに?」 「父親がボルドーって赤ワインの名産地の名前だったんですよ。しょーがないじゃないですか。 で、どうだ、悟飯?」 「・・・・・・・・・・・・」 黙ってる。 「どうだ。美味しかったろう?」 「いえ・・・・・・あの、はい・・・・・・。僕、やっぱりミネラルウォーターでいいです・・・・・・」 ブルマさんがくっくっと笑いだした。 悟飯は悟飯で照れくさそうに頭をかいている。 はぁ・・・・・・、このお子様め・・・・・・。このワインを開けたもう一つの理由はな、 おまえのバースデーイヤー・ヴィンテージだったからなんだぞ・・・・・・。 まあ、いいよ。 悟飯。 おまえはおまえのあるがままに、望むままに、素直に歩いていくがいい。 その心にあるものを汚さずに、汚されずに。 おまえの内にある光は、たとえば燠火のようなもので、 それを「光」と気付く者は少ないかもしれない。 だが、その見えない光はいつも周りの者を包むだろう。 おまえの存在がすでにひとつの奇跡だ。 あるがままに、歩いていけ。 (了) (戻る) |