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光の雫
つつまれるような愛は感覚でわかっていたとき。 誰かを愛しくて、恋をするということはわからなかったとき。 愛よりも恋よりも早いとき。 そんな時代の話、だ。 暑い、暑い夏の日。 セミがうるせえくらい鳴いていた。けど、田舎特有の澄んだ空気とせせらぎの音がイライラをつのらせるのを押さえてくれた。 大工仕事ってのは男仕事だ。まあ、今なら女の子だって立派に働いているけど、昔は力仕事ってイメージが強かったからな。男所帯でそれだけでもむさ苦しいってのに、このときに仕事した寺は狭かった。 がたいのいい男共が狭い中で大工仕事・・・。ここまで清涼感のない風景なんてねえだろうな。 暑い、暑い夏の日。 そんな中にその子は現れた。 まるで人形みてえだ。それが第一印象だった。小さな体に目ばかりでかくて、さらりとした長い髪の毛。寺の隅にちょこんと座っている姿は本当に人形みてえだった。 昼飯も済んで、寺の周りをずっとぐるりと一周していると、その子は後ろからいつの間にか俺についてきていた。 「またお前か?」 できるだけ目線をあわせて、にっこり笑ってみせる。自慢じゃないがこの悪い目つきは子供の受けがあまりよくねえ。初めて会った子にはこうするのが俺のクセになっていた。 「うんっ、おじいちゃんとこ遊びにきたの。」 ああ、キミが噂の・・・と首を振る。 住職が自慢げに話していた孫娘のようだ。小学校・・・5,6年だったと言ってたか。それを差し引いてもチビだが。小さな手におつかいなのかふろしき包みを持っている。 「おかあさんから、おじいちゃんにおつかいなのっ!」 にっこり笑うと、白い肌に葉の影が落ちた。 暑い、暑い夏の日。 2人でならんで歩いた。境内まであと少しだ。ここはよほどいい大工に作られたらしい。点検代わりの作業だったが、そのすばらしさが端々から伝わってくるんだ。昔の大工達と技を競い合えるのも、俺がこの仕事を誇りに思う理由のひとつだった。 まあ今は10割のうち9割はオレの方が負けてるが、あと5年たってみやがれってんだ。 何百年前の大工ともツラ並べられるようにしてやるぜ。 「お兄ちゃんは、ここをなおしにきた大工さんなんでしょっ?」 「よくわかったな。」 「うん・・・ねえっ時間かかりそう?」 心配そうにオレの顔を見つめる。そういや住職が言ってたっけ。ここの事が大好きな奴らがたくさんいるって・・・。なんて幸せな寺なんだろうって。 この子も寺を「幸せにしてくれる」ひとりなんだろうな。 「大丈夫だ、ちょっとは時間がかかるかもしれねえけど、兄ちゃん達がなおしてやっから。」 「ほんと?」 「ああ、もちろん。」 暑い、暑い夏の日。 また笑って駆けだしていった女の子はその後、よく遊びに来るようになっていた。最初は母親を連れて、その後は父親を連れて、飼い犬を連れて。 そのうちひとりで来るようになって、まいにちまいにち飽きもせずに、敷地のすみっこに座って黙ってオレ達の作業をみているようになった。 麦わら帽子をかぶって、白いワンピースを着て、手にクレヨン。 でっかい画板を持って何かを描いている。 「お寺描いているの。」 クレヨンのはしっこを上手に使って細い線を引いたり、何色もまぜて木の色を塗ったりしている。茶色一辺倒にしかみえない寺が赤だったり緑だったり青だったり。 型にはまらない色使いがなかなかいい。職業がら、色使いとかをどうしても見ちまう。人が作るものに限りがねえように、昔の職人達もある限りの材料で無限の色彩を作ってきたからな。 「へえー・・・。上手いなあ。」 「ほんとっ!?」 「ああ、ほんとだよ。」 「嬉しい!だっていっつも先生ったらそのまま描きなさいっていうんだもんっ!」 丸い目がぴかぴかに輝いて、オレのごつい手をその子の柔らけえ手が取る。 俺は笑った。その子に向かって。 素直でかわいい子だ。男兄弟ばっかりのとこで育ってきたから、なおさら感じるのかもしれないなあ。 仕事仲間達も妹のような、年の離れているこの子をえらく可愛がっていた。甘いお菓子を買ってあげたり、手合わせ遊びをしてあげたり、木くずで彫り物を作ってやったり。そのうちみんなその子が来るのを楽しみにしていて、昼飯の時間をずらしたり。 大の男どもがそんなまねしてバカじゃねえかと思うだろうが、みんなお姫さまのゴキゲン取りに夢中だったんだ。 お姫さまは素直で可愛らしくて、そして優しい子だった。 「末の妹があのくらいなんだけど、元気かなあ?」 「いいな、妹いるのかよ?」 「あんなに素直じゃねえけどさ・・・。」 「俺んとこなんか男ばっかだぜ。」 「手紙でも書こうかな・・・。」 お姫さまのワンピースの色がいつのまにかだいだいに染まっている。 俺の言葉を右耳から左耳に筒抜けにして、隣の仲間はその子に実の妹の姿を重ねてた。 夕暮れの中に水の音ばかりが響く。 緑が濃くなって暗くなる中で、その子の周りに光が踊った。 蛍だ。 その子とおんなじ名前の虫を見て、俺達は明日離れるんだって事に気が付いた。 暑い、暑い夏の日。 今日でお別れだな、とつぶやくとその子の目がみるみるうちに潤んで、眉をしかめた。大きな涙が後から後からこぼれて、目なのか涙なのかわかりゃしねえ。 遠くから見ている仲間達からは冷やかされるし・・・。 うるせえってんだ。あっちいってろっつの。 「お兄ちゃん、今日でお別れなの?」 「あ、・・・ああ。寺も直ったし、俺達のやることはもうねーからな。」 「うそつき。」 は? 何言ってんだ? その子の涙を拭いてやろうと手を伸ばした瞬間、放たれた言葉だった。最初は意味が全然わからなかった。 「うそつきっ・・・て、どうしてだ?希望通り、早くなおったじゃねえか。」 「時間かかるって言ってた・・・。」 「だから早く・・・。」 顔をあげた子供の目は真っ赤だった。ついでに頬も。 「もう少し一緒にいられると思ったんだもん。」 暑い、頬までちょっと熱くなった夏の日。 俺のきったねえ上着に頭をぶつけて泣くこの子を見て、ようやくわかった。 あ、そうかなるほど・・・。 今気づいた・・・。 この子は俺の事が好きだったんだ。 胸からじわりと伝わる暖かな水の感触が、罪悪感をふつふつ湧かす。 まずい。 ここまで女の子泣かせて最低だ、少し早く気づけってんだ畜生。 バカか俺は。 「ありがとな、俺のこと・・・。」 好きになってくれて、とは言わない。 言ったらきっとこの上着から顔を上げてはくれないだろうからよ。 「ねっ・・・また会える?」 俺は一回だけこくりとうなずいた。 「会えるさ。この寺のことも、蛍ちゃんの事もスキになったからよ。」 会えるさ、ってのは本当の事だった。俺達の仕事が本当に完成するのは、できあがって、ちょっとの時間がたってからだ。見に行きたいのが人情ってモンだ。 スキになったからよ、ってのはこの子のために、この夏の日が良い思い出として残るように言った言葉に過ぎなかったんだ。 俺の事なんか忘れて、いつかふっと思い出してこんな事もあったなって、そのくらいの思い出を残せるように言った言葉に過ぎなかった。 暑い、暑い夏の日だった。 本当ねっ?と言って俺の顔を黙って見つめてたこのときも、次に出会ってきれいな学生になっていた時も、まさか2人一緒にずっと過ごすことになって、しかも子供が4人も出来ることになるだなんて、蛍も俺も誰も想像なんかしてなかっただろうけど・・・。 蛍という名の、甘い水に吸い寄せられたのは俺の方だったんだ。 「陽介さん。」 「蛍?」 彼女は今でもふたりだけになると俺の事を名前で呼ぶ。俺はいつでもどこでも蛍の事は蛍。 ひとり息子の輝がいつか言ってたな「なんでお前んとこのパパは、ママのことをママっていわないの?って言われた」って。 ふざけんな、だれがそんな呼び方するか。 9個も年が離れた妻はいつまでも幼げで、境内で会った時からその眼差しだけは変わることがない。言葉の後を強めるような物の言い方はしなくなったが、見事にそれを受け継いだのが輝だ。俺の切れ長の目を受け継いだのは4人の子供のうち、ひなただけ。あとは彼女によく似てる。ひなた以外の3人の仕種は・・・みてて面白い・・・というのは蛍の言葉だが、俺とそのまんまなのだそうだ。 「陽介さんたら、めずらしく考え事なんてしてるんですもの。」 「いや・・・また会えたのがウソみてえだったな、と思ってよ。」 「あら。」 またくすくす笑う。子供の時みてえに大きな声で笑わなくなった。 けど、蛍は蛍のまま。 いつでも甘い水を持っている・・・って思う。悪いか。ほっとけ。 「赤い糸って知ってる?私はちゃんと見えたんですもの。」 「あんときは本気じゃなかったんだって。」 「あら、あの時本気だったら犯罪よ。」 「そりゃそうだ。」 くすくす笑っていると娘達が駆け寄ってくる。 俺にそっくりなひなた、蛍にそっくりな昴に燈子。彼女にそっくりなヤツはもうひとりいるが、今はいねえ。 男を上げに行ってる最中さ。 ちょっとは俺に似て帰ってこいや、輝。 待ってるからよ。 暑い、暑い夏の今。 夏の日差しが彼女の頬に当たろうとする。すだれをすっと下ろす。 娘達のためにじゃない、妻のためだ。 彼女の頬が日に焼けてしまわないように。 誰がなんと言おうとかまわねえ。 太陽さえも手を出すことは許さねえよ。 (戻る) |