●熱雷
「ビーデルさん、早く早く!」
いきなりの夏の雷雨に追われて僕たちが飛び込んだのは、手近にあった牧草置き場だった。
「わぁ! 素敵! いい匂い!」
彼女がはしゃいだ声をあげる。
ブルマさんの所に居候しながら大学に通っている僕にとって、カプセルコーポの第3実験場はほとんど庭みたいなもの。で、この牧草置き場はけっこうお気に入りの場所だったりしてる。
「ねえ、悟飯君、あれは‥‥?」
ビーデルさんは隅にあった2つの干し草の塊を不思議そうに見ていた。
「ああ、牧草ロールの小さいやつ! 写真見て、面白そうだから作ってみたんだ」
そう。ロールケーキのように丸められた牧草がごろごろしてる写真を見て、なんだか楽しそうで、スタッフの人たちが草刈りをする時ちょっと試してみた。
「こっちのはロールにしなかったの?」
部屋のもう片方に沢山積み上げてある干し草は‥‥
「ロールにするの、飽きちゃったんだもん‥‥‥‥」
彼女は一瞬目を見開くと、叩き合わせた両手に顔を埋めるようにして笑い出した。いや、確かに牧場だったらきちんとやんなきゃいけないけど、ここは別にそんなんじゃなくて‥‥。
「笑うけど、意外に難しいんだよ、あれ! 機械があればちゃんとできるんだろうけど、
ないから でっかい鉄板で太巻きみたいにしたんだけど‥‥」
「だって‥‥。悟飯君の口から"飽きちゃった"って言葉が出てくるのって
面白いんだもの! そのうえ、マジメにイイワケするし!」
「へ、ヘンかな‥‥‥‥?」
「いいえ! どっちかって言うと、とってもいい感じよ!」
ビーデルさんは僕に向かってふわっと両腕を広げる。と、いきなりつま先立ち気味に半回転すると、雷の落ちる音と同時に、無造作に積み上げた干し草の上にどさりと倒れ込んだ。
「わわっ ビーデルさん!?」
僕はびっくりしてその脇に膝をついた。
俯せたしなやかな身体が、僕の下でくるりと向き直る。海色の瞳が僕を見上げて、また笑う。
「心配性の悟飯君」
僕はわざと少しふくれてみせる。
「違うよ。服が干し草だらけになっちゃうって言いたかっただけだよ」
「いいのよ。だって、すごくいい匂いなんだもの! すごくいい気持ち!」
雨で少し濡れた髪に干し草がたくさんついてる。茜色のニットが冬毛の抜けるネコを抱き上げた時のようにヒサンな状態。
この人は、時々、小さな女の子に戻ったようになる。
いったい、いつからだろう。そんな印象を持つ時間がどんどん増えた。
初めて会った頃は、困ってる人をほっとけないトコにはすごく共感を覚えたけれど、ちょっと苦手な部分もあった。やたら色々詮索してくるし、けっこう鋭いし‥‥。まあ、こっちにも隠さなきゃならないことがあったから、余計そう感じたってのはあるかもしれない。
気が強くて、ちょっと強引で、何処にいても誰に対してもしっかりしている人。
それがビーデルさんだった。誰に聞いてもきっとそう答えたと思う。クラスの人だってみんな、何か困ったらビーデルさんに相談すればいいって思ってたはずだ。
まあ、女性はみんな気が強いんだと思っていた僕は、やっぱりそうかなんて、へんな納得をしてたのだけど‥‥。
でも、それが、母さんやブルマさんの"気が強い"とちょっと違うってことに気付いたのは、例の天下一武道会だった。
相手が既に人間でないと知って、それでも彼女は棄権しなかった。
どう考えても絶対にかなわないと一番分かっていたはずなのに、それでも逃げなかった。
僕には、あの時のビーデルさんは、"逃げない"のではなく、"逃げられない"ように見えたんだ。
母さんやブルマさんが、ビーデルさんと同じくらい強くて同じ立場だったとしても、きっとすぐ棄権したと思う。あんな勝負にこだわることは彼女たちにとってなんの意味もない。だけど‥‥それでも本当にいざとなった時、母さんやブルマさんがけっして逃げないことも、僕にはわかってる。
あの頃、ビーデルさんは僕と勝負をしたがった。女性であるビーデルさんが、自分は何があっても、どんな相手より強くなければいけないと決め込んでいる感じが、不思議だった。
なんでそんなことに命まで賭けなきゃいけないのか‥‥。あの時の僕には、それがとても理不尽に思えて、腹立たしかった‥‥。
ビーデルさんが干し草の山の中に沈んでしまうかのように、全身の力を抜いて目を閉じた。その幸せそうな微笑みを刻んだ唇に、僕は軽く口づける。身体を離そうとして、彼女の見開いた少し潤んだ瞳とぶつかった。
「好きよ、悟飯君」
小さな声なのに、鈴の余韻のように波紋が広がっていく。
この人の声は、どうしてこんなに染み入るようなのだろう‥‥。
僕が強かったから、この人の呪縛が解けたのだとしたら、僕は強くてよかった。
僕の持つ力が非常識で‥‥‥、僕が普通じゃない人間なのだとしても‥‥
それがこの人をこんなに素直にしているのなら、僕はそのことに感謝する。
「僕も大好きだよ」
僕は彼女をすくうように抱き上げると、くるりと仰向けて彼女を抱きしめる。驚いてちょっとだけ声をあげた彼女が、僕の上で、すぐに子猫のようにくつろぐ。
たおやかに、まとわるように、身体にかかる重みは、羽根のように軽く、大地のように重い。
「ねえ、悟飯君。もう一度、言ってみて?」
彼女の声にちょっとだけ悪戯っぽい響きがこもった。どこか子供がすがってくるように、僕の腕に手を絡ませる。
僕は目を閉じた。
雷はまだ鳴っている。
この人が雷など怖がらないことを知った上で、小さな子供にするように、その髪をそっと撫でて囁く。
「僕は、君が大好きだ」
僕は君が大好きだ。
君が望むなら、僕はいつも君の側にいるだろう。
君は、君の、本当に大事なもののためにだけ、必死になればいい。
それ以外は僕がみんな護ってあげる。
父から受け継いだこの力を惜しむことなく、
君がいつまでものびやかに笑っていられるように、僕は全てを護ろう。
海も、大地も、吹き渡る風も、この星も‥‥
この遠ざかる雨と熱雷さえも‥‥。
(おしまい)
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