●カベルネ♪メルロ♪グルナッシュ♪(1/2)
「ちょ、ちょっと、カベルネ、だめだよ! ちゃんと歩いてったら! からまっちゃうよっ」
教え子が子犬に振り回されている。
振り回しているのは私の愛犬ブランカの一番上の息子だ。そろそろ生後四ヶ月になり、今日はじめて引き綱をつけた。こちらの意図に反して進んだら、多少キツク引っ張っても言うことを聞かせなければ訓練にならないのだが、この学生にはそれができない。
彼の名は孫悟飯。今春、私が籍を置く西都大学に入学し、私の講義である「分子生物学基礎」と「大脳生理学I」を受講している。
やれやれ、出かける前に一通り教えたのにな。あれじゃ訓練も何もあったもんじゃない。この私を見てみろ。2匹もの子犬をきちんと歩かせて・・・・・・。
「タオ! グルを踏んじゃうわよ!」
後ろからの声に上げた右足をそのまま止めた。末息子のグルナッシュが左足のほどけた靴紐をかじっている。慌てて引き剥がすと、子犬はその興奮を姉のメルロにぶつけることにしたらしく、取っ組み合いになった。頭をかいて後ろの女性に礼を言った。
「やれやれ。どうも、ブルマさん」
「やっぱ最初は大変ねー! あたし、ブランカにしといてよかったわ」
銀色の機能美に溢れた大型犬を引いて歩いてくるのは、これまたエネルギーに満ち溢れた感のある美しい女性。私の研究に援助をしてもらっているカプセルコーポの副社長。私の最も尊敬する科学者の一人でもある。天才的な工学センスと気の強さと自信に満ち溢れる一方で、類まれなる懐の深さを持つ空前絶後の女性である。
日が傾くと吹き寄せる風はもうすっかり秋の匂いだ。研究で行き詰まっている時でさえ、カプセルコーポ第3実験場のこの広大な敷地を眺めれば、爽快な気分になってくる。
「ねえ、タオ博士。もうカベルネたちの引き綱とっていいでしょう?」
「悟飯、おまえね、まだ10分しか歩いてないだろ」
「だって、もう広場についちゃったし、みんな遊びたがってるし・・・」
「わかった、わかった。もう、犬の訓練する時は、おまえには頼まないよ!」
「やった! ほら、カベルネ、いいって!」
嬉々としてカベルネのリードをはずし、早足で私の側に来るとメルロとグルナッシュを開放し、あげくの果てにブランカも解き放つ。
「おいで!」と一声。4匹の先頭に立って、教え子が駆けて行く。
ブルマさんと並んでベンチに腰掛けた。戯れる4匹と1人を見ながらブルマさんが笑う。
「あーゆーとこ、ホント父親にそっくりだわ。孫君もいつまでたっても子供みたいで・・・」
ブルマさんと悟飯の父親とは幼馴染なのだそうだ。彼女の彼を見る目は時に母親のようでもある。
「じゃあ母親が一人常識人で苦労してるってわけですか? なんか想像つくな、悟飯の親父さん」
「その想像、絶対間違ってるって保証するわ。 もうマジで桁外れな父親なのよ!」
「なるほど。これ以上ないほど桁外れな貴女がそう言うなら、そりゃよっぽど・・・・・・」
いきなり頭をはたかれた。とてもこの年齢の人間のすることとは思えない。・・・・・・いや妻に言わせると私も人のことは言えないそうなのだが・・・・・・。分野は違えど、ブルマさんと私は、仕事に対する考え方がよく似ている。彼女とはいくら話しても話題につきることがなかった。
教え子は相変わらず喜び一杯の「犬まみれ」状態だ。彼にかかると人間も動物も同じ生命として区別がない。まあ、私も生命は細胞の集まりによって成る一つの「系」と思っているし、恣意的な人間の「精神」といったものは信じていない口だが、彼にとっての解釈は理屈でなくむしろ本能に近い。
丁寧でやわらかい物腰に好感は持ったが、最初は目立たないごく普通の学生に思えた。非常に勉強熱心で何人かの「デキル」仲間と連れだって講義の後によく質問にきたものだった。そのうちに、この学生の言動や表情の変化に妙に心を惹かれる自分に気付いた。
研究や学問を志す者なら、多かれ少なかれ知識に自負を持つものだ。特にこのくらいの年齢ともなれば、自分の知識をさりげなく示してみせては可愛らしい優越感に浸ってみたりする。それは決して不愉快なものではないし、より高みに成長していく上でのひとつの過程だと私は思っている。
だが、この孫悟飯という学生はそういうこだわりが希薄だった。これだけ成績優秀でありながら、その事実は彼にとって殆ど意味がないようだった。時々えらく常識知らずなことがあって皆を驚かせたりするのだが、そんな時も悪びれるでもなく気負うでもなく無邪気に聞き返し、素直に感動する。
彼がカプセルコーポの居候だったためプライベートで会うことも多くなり、私はますます彼に興味を持っていった。この若さにして自分に起こる事柄をありのままに受け入れていくその風情。けっして自我が無いとか諦めているといったマイナスの感じはない。どこか不思議な印象のある少年だった。
悟飯がポケットにねじ込んできたスポンジのボールをいくつも取り出し、あちこちに放り投げては4匹の犬を走り回らせる。犬たちにとっては1対1で遊んでもらっているのと同じ感覚だろう。そのくらい彼の身体能力は驚異的だ。その上、自分の四方に広がった4匹のそれぞれの状況を完全に把握している。オリンピックに出れば全ての個人種目で金メダルを取りそうだ。とはいえ空を飛んだり、光のボールを作ったりするのに比べれば、この運動能力はまったく常人の域なのだろうか。
「そういえば、悟飯君、タオにすごく感謝してたわよ。力を見せちゃったのに、
全然変わらないで接してくれて、すごく嬉しかったって」
「いや、初めて見た時は正直言って相当動揺しましたよ。ただ、なんかあいつを見てると、
それはそれでいいか、みたいな気になっちまってね。生物系の学者としては失格ですかね」
この夏のことだ。ブルマさんのやっていた実験の関係で彼に感覚刺激のテストを行ったことがあった。彼の脳に電気的に悲しみの感情を生じさせた時、普段の様子からは想像もできない苦悩を示した彼は、そのまま椅子の肘掛けを粉々に握りつぶしてしまったのだ。
あとからブルマさんに、この穏やかな学生についての信じられない話を聞いた。10年前にセルという化け物が出て大騒乱になった時に、それを倒したのがまだ10歳になっていなかった彼だったこと。その時、彼の父親が爆発に巻き込まれて行方不明になり、死んだと思われていたこと。彼が父親の死を自分の責任と感じていたこと。そしてその父親が3年前ひょんなことで戻ってきたこと・・・・・・。
「私はね、悟飯のことを見てて、幼い頃から何の苦労も不自由なく、ひたすらに愛されて、
幸せに育てられたんだろうと思ってたんですよ。ずっと満たされてきたから自分を主張する
必要がなくて、そのまま今に至ったんだろうってね。でも実際は全然違っていた・・・・・・」
「でも、ひたすらに愛されてってとこは当たってるわよ。とにかく孫君もチチさんも、あの子を
すごく愛していたし、彼を自分の息子のように気にかけてるヤツもいるし。なんていうかな、
小さかった頃のあの子は、あたし達にとっては全員の子どもみたいな感じがあったのよ。
でも、彼が、幼い頃から生死の瀬戸際を経験させられてきたのも事実なの」
「そんな経験して、あんなに穏やかでいられるのは、どうしてなんでしょうね」
「さあね。ただ、今のあの子は色んなことに感謝してる。それが大きいのかもしれないわね」
「感謝?」
「平和で、好きなことができて、自分を大事にしてくれる人に囲まれていて、そのうえ父さんまで
戻ってきてくれて、こんなに幸せでいいのかって、少し前によく言ってたもの」
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