★第16話 (1/5)
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 彼女はよく夢を見る。

 夢を見るという事象は、人にとって何の益も害ももたらさない記憶の気まぐれに過ぎない。それは儚い幻だ。現実は現実、夢は夢。永遠に交わることはない。2つの直線は次元と次元の如く永遠の平行線の上にある。薄っぺらい紙を二枚重ねたところで上の紙は下の紙を通り抜ける事は無い。それは世界の理であり、絶対だった。

 しかし、絶対である筈の世界にさえ、不確定要素は存在する。

「・・・・・・うまく通り抜けられたようね。・・・・・・ち、スプリガンと鉢合わせるなんて・・・・・・私もまだまだ、未熟だわ」
 時は二ヶ月近く遡る。
 世界に逆らい存在する、次元と次元を繋ぐ回廊より降り立った彼女は呟いた。降りる時刻はまだ暗い朝方を選んだ。暗く、且つ人の一番少ない時間帯だ。
 以前にも何度か降りたことのある三次元だったが、やはり身体が慣れるまでには相当の時間を要しそうだった。もっとも彼女の姿形は人間に限りなく近い。他の連中より遥かにマシな筈だ。そう思って、彼女は我慢することにした。
 彼女の部隊は諜報の役割を担っていた。三次元世界の人間の調査は一通り済んでいる。どんな生活を持ち、社会的ルールを持ち、価値観を持っているか。今回はそれらの知識が役に立ちそうだった。意味無く人間を殺さずとも良い。 

(わたしはあの方の期待に応えられれば、それでいい)

 戦力を必要以上に消耗しないためにも、自身の姿は非常に都合が良かった。三次元社会に紛れ込める。何もこれから倒そうとしている『敵』に対するカモフラージュだけではない。それは政敵である仲間達から妨害を受けないためでもあった。
 社会的に存在を認められる為には2,3面倒な作業があったが、彼女にとってはさして難しいことでもなかった。
 人間にはあり得ない跳躍力で、彼女は跳んだ。



 ある日、学校から帰って来た桜木瑠衣は、想像を絶するその張り紙を目撃した。

 アルバイト募集のお知らせ(急募)
 私達と楽しく、明るい職場を作りませんか?
 委細面談。
  喫茶『森の小路』

「バイトおっ!?」
 喫茶店出入り口の正面で突然叫んだ少女に、道行く人々の視線が集中した。


「輝、その皿こっちな。小さい皿は隣に置いたほうがいい。スペース取れるだろ」
「じゃ、コップ類は?棚の下の方の、取り易いトコにあった方がいいでしょ。落っことすの怖いし」
「そうだなー・・・・・・そこには消耗品置きたいんだけどな」

 赤星と輝が笑い合いながら戸棚の整理をしている。全くタイプの違う二人の男性だったが、仲が良く、まるで兄弟のように見えた。輝はぱたぱたとそこら中を駆けずり回って青年の補佐をしていた。赤星は、それに較べれば幾分落ち着いた所作で大皿を戸棚にしまい込んでいる。

 からんからんからーん!
 突然、美しい銀のベル同士がぶつかり大きな音を立てた。
「ああ、瑠衣か。お帰り」
 赤星は後ろを振り返り、そこに立っているのが良く知った顔であることを認める。輝は元気よく彼女に挨拶した。
「瑠衣ちゃん!おっ帰りっ!奥の冷蔵庫にババロアあるよっ!」
「赤星さん・・・・・・!」
 扉を勢い良く開けて入って来た瑠衣の瞳は真剣そのものだった。

「・・・・・・どうしたの?瑠衣ちゃん」
 輝の問いには答えず、彼女は赤星の前に立った。赤星は目を丸くする。
「どうしたんだ、瑠衣?」
「あたし、役立たずですか?」
「は?」
 想像もしていなかった台詞に、赤星の皿を積んでいた手が止まる。瑠衣の瞳には涙が浮かんでいた。輝がギョッとしてコップを取り落としそうになる。

「る、瑠衣ちゃんっ!?どうしたのいきなりっ!?」
「ちょ・・・・・・ちょっと待て、瑠衣っ!なんでそうなるんだ!?」
 赤星は慌てて手を横に振って否定する。しかし瑠衣はまるきり応じなかった。ぎゅ、と胸の前で両手を握り締める。
「そうですよね・・・・・・あたしなんかとても赤星さんの役に立ってませんよね・・・・・・」
 ふっと瞳をそらす瑠衣。
「ごめんなさい・・・・・・それならはっきり言ってくれれば・・・・・・!私だって潔く身を引いて」
「マーースーーターーーーっっ!!!どーいうことっ!?」

 『森の小路』一のフェミニスト・輝が黙って聞き流す筈は無かった。彼の睫の長い目が一気に険しくなる。掴み掛からんばかりの勢いで詰め寄られ、赤星は進退極まった。
「・・・・・・だああああっ!だからどーしてそーなるんだっ!!!瑠衣、いったい何の事かちゃんと・・・・・・」
 と、その声が瑠衣の表情を見た途端ぴたりと止まる。
「・・・・・・瑠衣?」
「何の事、って」
 いつの間にか、彼女はけろりとした瞳で赤星を見ていた。
「どうしてバイトなんて募集してるんですか?ってことなんだけど」
 自分が只からかわれていただけだと気付くまでに、彼は10秒かかった。



 夢を見るということが他の人間にとってどれだけのものか、彼女は知らない。ただ、彼女にとって、夢とは紛れもなく真実を含むものだということだ。
 彼女の中で、夢と現は交わっていた。次元回廊のように。

 耳が痛い。両の指にはめた大きな指輪を無意識にいじって、瞳だけで周囲を見回す。

 この耳鳴りには数日間悩まされた。彼女の耳はしばらくの間この次元の音に馴染まなかった。
 暗黒次元の生物の可聴域は3次元世界の生物が発する音に対してずれていた。暗黒次元の方が僅かに低い。発される声にしても同様であるから、暗黒次元では高い方である彼女の声も、こちらの世界ではアルト程度に聞こえる筈だった。また、常用されている音……声も含め……の質が全く異なった。そしてそれを聞き取れるように進化した耳もまた、拾い取れる音の質が違った。3次元世界の人間の発する声の中で、個人を判断できる『声の中の声』が、暗黒次元の人間には全く聞こえない。言葉としては聞き取れるが声での個人の判別が不可能なのである。死角から知り合いに声を掛けられた時咄嗟に反応できない等、大したことではないが少々不都合はあった。今ではほぼ慣れたが、未だに人混みの中は辛い。
 だから、彼女は人混みが嫌いだった。

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