★第16話 (3/5)
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(おかしな店)
 思っていたのとずいぶん違う。

「ささ、こっちこっち〜。俺様が案内してあげるからね〜」
 妙に馴れ馴れしい店員が自分の手を取る。すかさず赤星が彼の頭を小突いた。
「黄龍、お前は店番!」
「ちぇ〜。せっかく美人とお近づきになれるチャンスだと思ったのにな〜」
 黄龍という名前らしい。彼はぶつぶついいながらもあっさりと手を離す。

 『STAFF ONLY』の扉をくぐるといきなり建物の中は雑多になった。土地だけはあるらしく廊下は広かったが端々に荷物が積まれている。小麦粉、砂糖、塩、重曹、ベーキングパウダー。フルーツにチョコレート・・・・・・段ボール箱の山だ。
「あ、テキトーに避けて歩いてくれ。悪いね」
 少し行くと右手にドアがあった。相変わらず、廊下の隅に積まれている段ボール。それにちょこんと座っていたのは、何故か白衣の女性だった。
「赤星、お店はいいの?」
 手にはマグカップ。女性はおっとりと首を傾げた。
「有望・・・・・・休憩時間だからってここでくつろぐのはやめろって言ってるだろ?」
「いいじゃない、私の研究所とここ、近いんだもの。お茶は美味しいし。・・・・・・あら?どちら様?」
 有望と呼ばれた女性はこちらを見てまた首を傾げた。美女なのにそういった仕草はどこか可愛らしい。
「うち、今度バイト取るの!知ってるだろ?」
「ああ、そんな張り紙してたわね。こんにちは、私有望。この人とは実家でお隣さんだったの。そしたら勤め先まで近所でね・・・・・・腐れ縁なのよ。知ってる?ここの近くの国立研究所」
「はあ」
 世間話など始める女性。
「いーから帰れ!真面目に仕事しろ!久保田所長は泣いてるぞ。さ、こっち」
「今度お名前教えてね」

 赤星に促され、『ばいばい』とにこやかに手を振る女性の横を通り抜けて右手のドアにはいると、更に廊下が続いている。奥にはやはりドア、横手には・・・・・・。
 突然、ばたばたという足音がして奥のドアが勢いよく開いた。
「おっそくなりましたあっ!!マスター、すぐ店に入るからねっ!!」
 エプロンを小脇に抱えて『敵はどこだーっ!?』と言わんばかりの勢いで飛び出して来た人物と危うく衝突しそうになる。ぱちりと、大きく開かれた瞳がこちらを見上げてきた。
「あれ?ねえマスター、この人誰?」
「廊下は走るな!」
「ああ、ごっめーん」
 ほっそりとした身体にはおおよそ似合わない元気の良さだった。
「で、この人誰?」
「バイト希望の人。それから、今全然お客さん居ないから慌てなくっていいぞ」
「情けないことをさらっと言うよね、マスターってさ。こんにちは!一緒に働くことになったらよろしくねっ」
 元気よく右手を差し出す。握手を交わすと、その子はまたばたばたとあわただしく、たった今自分達が来た方へと走っていった。
「騒がしくって悪いね・・・・・・気にしないでくれ」
「いえ、かまいません。可愛いお嬢さんですね。高校生ですか?」
 フォローのつもりの発言は数秒の後、何故か大爆笑された。

「まあ、とにかく」
 笑いすぎて目尻に滲んだ涙を拭きながら、赤星は不意に横手を見た。つられてそちらを見ると、ドアにはめ込まれている大きな硝子越しに銀色のキッチンと沢山の調理用機材が見える。どうやらそちらが厨房のようだった。
 しかし理絵が気になったのは全く別のことだった。
「店長」
「何?」
「何故、ケーキを作ってらっしゃるのがお爺さんなんでしょうか?」
「俺、ケーキとかの細かい料理って苦手でさ」
「そういう問題ではないような気がするんですが」
「おお、竜!おったのか」
 話題の人物はこちらに気付いたらしい。向こうから先に声を掛けてくる。理絵は思わず瞬きした。パティシエの真っ白い帽子に、異様にインパクトの強い黒縁眼鏡がお世辞にも似合っていない。老人と呼ぶのは失礼かも知れない。髭は生やしているものの背筋はしゃんとしており、身のこなしも綺麗だ。天板を手にしたままこちらに近づいてくる。

「昨日から試作しとったビスキュイ生地じゃがな、やっと納得いく味が出たんじゃ!今すぐ試食して・・・・・・おや?そっちの嬢は誰じゃ?おお、さては新しい彼女じゃろ?竜も隅に置けんのう」
「初めて会った人をダシにしてそーいう冗談はやめてください!」
「勿論冗談じゃよ。竜もまだまだ若いのう」
 爆笑する老人に赤星が頭を抱える。理絵は何となくこの店の上下関係を悟った。

「ああっ!いたいたぁ!」
 どこかのんびりとした高めの声が聞こえた。
「ねえ博士、買い物行ったら珍しいリキュール見つけてさ、買ってきたよ!すっごく綺麗な色してるんだー!喜ぶんじゃないかと思って…」
 ぱたん、と、やはり奥のドアが開いた。
 若い男性が立っていた。栗色の、男性にしては少し長めのショートヘアが一歩歩く度にさらさら揺れた。平均体重を少々下回っていそうな痩身。背が低くない所為で余計にそう見えるのだろう。大きめの買い物籠を抱えている。
「おお、そうか!いつも気が利くのう」
 『博士』と呼ばれた老人はにこにこして彼を招いた。前を通る時、丁寧に頭を下げられる。理絵は黙ってすいと身を退いた。代わりに赤星に尋ねる。
「『博士』とは?」
 赤星はちょっと笑う。
「オレの親父の知り合い。元パティシエでさ、時々うちにも菓子作りに来てくれるんだ。俺達にとっては『お菓子博士』!だからさ」
「ああ」
 理絵は少し眉を上げた。よくある『あだ名』というやつらしい。

「あ、どうも。こんにちは」
 髪と同じ、柔らかい色をした瞳が笑った。こんなに人数がいるなら自分など雇わなくてもいいのでは?という疑問がふと脳裏を過ぎったものの、聞かないことにした。
 栗色の髪の青年がリキュールの小瓶を取りだした拍子に、籐編みの買い物籠から見覚えのあるパッケージが覗いた。赤星もそれに目を付けたらしい。ひょいと手を伸ばして包みを取る。
 それはコーヒー豆だった。有名メーカーのもので、ブレンドではない。赤星はそれを青年に示して言った。
「悪い、洵。これ、黄龍か輝に、二人分淹れて応接室まで持って来いって言っといてくれないか?」
 要するに自分に出されるらしいと理絵は思った。
「……」
 これまで無駄な動きの一つもなかった彼女が初めて、数度瞬きした。唇に手を当てて言う。
「あの」
「?どうしたんですか?」
「それ」
 彼女はコーヒー豆を指さした。
「私に淹れさせてくださいませんか?」
「……」
 3人は顔を見合わせた。
「いいけど……サイフォンだぜ?大丈夫?」
 赤星が答える。その答えを聞いて、理絵は薄く微笑んだ。挑戦的な微笑みだった。
「サイフォンの扱いは得意です」



「えーっ!じゃあ、あなたが新しくバイトに入った人なんですね!」
 帰宅した瑠衣はその瞳を輝かせて、テーブルの向かい側に座っている理絵の顔を覗き込んだ。流石に表ではまずいから、と、店の奥で話し込んでいる。ちょうど準備時間に入ったこともあり、3日前に戻ってきた黄龍と入れ替わりに佐原探偵事務所に出ている黒羽以外の全員が揃っていた。理絵は出されたビスキュイを一口食べる。
「どうかね?嬢」
「美味しいです」
 焼きたての生地を自ら出してくれた『博士』に答える。『博士』はにっこり笑った。
「そりゃ良かった。嬢、名前は?」
「不現理絵です」
「わあ……凄い凄い、素敵!お姉さまも素敵だけど、理絵さんも素敵!」
 瑠衣がきゃあきゃあとはしゃぐ。側にいた有望はほんの少し頬を赤らめた。

 瑠衣は年上の美しい女性に憧れやすい。より正確に言えば立ち居振る舞いの美しい、いわば『気品のある女性』に弱いのだ。
 彼女にとって有望は憧れの人であり、人生の師であり、小説の中のヒロインである。つまりは「自分もあんな風になりたいっ!」という体現なのだ。赤星に言わせれば「偶像崇拝じゃないのか?」ということになるが、瑠衣にとって有望は紛れもなく現代に具象化した女神なのである。
 理絵も、有望ほどではないにしろ、彼女の『憧れ』の範疇に結構な割合で入っていたようだった。瑠衣はスリッパを鳴らしてぱたぱたとテーブルを回り込むと、理絵の前に立ってぺこりと頭を下げる。
「初めましてっ!桜木瑠衣って言います!いいなあ〜、瑠衣も飲みたいです、理絵さんのコーヒー!美味しいんでしょう?」
 理絵は相変わらず無表情に、「そうですか」と言った。
「幸い私は採用されました。また淹れましょう」
 瑠衣は慌てて両手をぱたぱたと横に振る。相手の無表情は全く気にしていないらしい。
「あっ!瑠衣に敬語は使わないでください!全然年下だし、最近は受験だからお店にも出てないし」

「でも赤星さんにはびっくりしたね、俺様!理絵さんのコーヒー飲んで開口一番『採用!』だぜ〜?どこの世界にんな店長いるんだってーの」
 姿勢の悪い座り方をしている黄龍が、椅子をぎしぎし言わせながら口を出す。『準備中』の札を出して戻ってきた赤星が苦笑いした。
「お前だって飲んだろうが。お前だったらどうした?あのコーヒー飲んで。採用したに決まってる」
「俺様だったら?コーヒー淹れて貰うまでもなく採用に決まってんじゃん」
「馬鹿エイナ。どーせ美人だったら誰でもいいんだろ。……ね、理絵さんって呼んでいい?」
 輝が話しかける。
「構いません」
 赤星から「こいつ21歳、性別は男だぜ」と聞かされた時ばかりは、鉄壁の無表情も少しだけ驚いたような顔をした。それを見た赤星は思わず笑ってしまったものである。

 露知らず、「21歳・男」輝は尋ねた。
「コーヒー好きなの?」
「ええ。大学でよくレポートを持ち込む教授がコーヒーを淹れてくれるので」
 彼女はゆっくりと瞳を瞬かせた。
「初めて美味しいと思った飲み物です」
「解る解る!好きな食べ物とか飲み物とか、ついつい凝っちゃうんだよね!洵センセイなんかすっごくそのタイプだよね」
「洵先生?」
 尋ねる理絵に本人がちょっと手を挙げて答える。
「はいはい、僕です。孫洵。時々来るんだ、ここに。ココア大好き!宜しくねー」

 理絵は穏やかな栗色の瞳を見た。
「西都病院のドクター洵……ですか?」
「あれ?僕のこと知ってるの?」
 洵は驚いた。先生と呼ばれたことと白衣を着ていることで医者ということはわかるかも知れないが、勤務している病院まで当てられるとは思わなかった。
「有名です。わたしの通っている大学は地理的に西都病院に近いので、通院したことのある学生は多いようです。医師としては例外的に若くていらっしゃるようですね?それでよく話題に上るのでしょう。特に女性の話題に上っています」
「女性??」
 赤星が意味不明、という表情で洵を見やる。洵も意味不明といった表情で赤星を見る。有望は苦笑したが何も言わなかった。この二人は自分に寄せられる好意に対して鈍いところがよく似ている。
「あ!そうそう!女性って言えばねえ」
 突然、洵は話題を切り替えた。
「聞いてみんな!今日、看護婦さんから聞いたんだー。第2病棟にね、真夜中真っ白い服来た女性の幽霊が出たんだって!」

 洵は怪談話が大好きである。怪談話をしている最中の奇妙な緊張感が好きなのだ。そのため怪談話をすぐに他人に話したがる傾向がある。反面本物の幽霊や怪現象は大の苦手なのだが、その辺はお化け屋敷に入ることと本物の幽霊に出会うこととの違いに似ている。勤務しているのが病院ということもあり話題には事欠かず、お陰で彼の一番の話し相手である『森の小路』の面々は西都病院の怪談話にはすっかり詳しくなってしまった。

 その中で一人だけ、既に何度も彼のそんな話を聞かされたとは思えないほどの狼狽ぶりで洵にストップをかける人物があった。
「ちょ、ちょっと待て、洵!!」
 赤星である。彼は幽霊や怪談の類が大の苦手だった。どれだけ苦手かと言えば、蛙にとっての蛇、シロアリにとってのアリクイ、ガゼルにとってのチーター……まあどれでもいいのだが、とにかく話を聞くだけで震え上がってしまう程である。
 彼の幽霊に対する恐怖は今に始まったことではない。子供の頃幽霊に出会ったまでは良かったが得意の拳が通用せず、それ以来すっかり幽霊が苦手になってしまったのである。霊感ゼロのタイプに見えるが実はそうでもないようで、金縛りも結構体験したらしい。それだけに、怪談話がただの怪談話とわかっていても怖い。尋常ではない素早さで、両手でぱっと洵の口をふさぐ。
「駄目!駄目駄目駄目、駄目!そーいう話、俺の前でするなって言ってるだろ?」
 洵の口を塞いだことで安心したのか、先程よりは少し余裕のある口調で言う。それでも充分声は震えていたが。

 それは『台風の目』だった。
 あるいは『大穴』と称しても良い。

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