★第17話 (3/7)
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「……瑠衣ちゃん?」
 薄暗い店内。ほとんど見分けはつかなかったが、その背中はとても小さく見えた。振り向いたのが気配でわかる。
 彼女は少し、首を傾げたようだった。
「瑛那さん・・・・・・?どうしたんですか、こんなに早く・・・・・・」
「それはこっちの台詞!」

 少し乱暴な手つきで店の明かりを付ける。ぱち、と音がして店内全体に明かりが灯った。
 カウンターに腰掛けている瑠衣はニットにワイドパンツというラフな格好だった。起き出したばかりだというのは雰囲気でわかったが、それにしてはその表情は何となくそぐわない気がした。
 彼女は妙な落ち着きを見せていた。普段の元気で明るい、どこかふわふわとした感覚を与える彼女はどこかへ行ってしまったようだった。背筋を伸ばしてただ、そこに居るだけだ。なのに、まるで彼女が彼女で無いようだった。静かにこちらを見つめている。

 そのことに内心驚きながら、黄龍は壁掛け時計を後ろ手に指し示した。
「まだ朝の4時だぜ!ちゃんと寝ときなって・・・・・・!」
 さしもの彼も、その日ばかりはいつものふざけた声ではなかった。
「今日だろ!?受験!」
「眠れなくって・・・・・・」
 瑠衣は少し微笑んだ。そのちょっとした仕草すら普段の彼女との大きな隔たりを感じて、黄龍は戸惑った。

「瑛那さんはどうしたの?」
「んなことどーでもいいだろ!?」
 意図せず口調がきつくなる。
「部屋戻って、ちょっとでも寝とけって!受験の最中に眠くなったらどーすんの!」
 瑠衣は全く動じなかった。少しだけ眉根を寄せ、静かにかぶりを振る。
「・・・・・・眠れそうにないわ」
「・・・・・・」
 黄龍は思わず、少しの間考えてしまった。
 受験前の緊張とは違う。受験のプレッシャーを感じているなら、もっとそわそわしている筈だ。逆に落ち着いているというのはおかしい。
「本当に、もう寝なくて大丈夫なわけ?」
 瑠衣はふい、とあさっての方向を向いた。表情一つ変えない。
「あたし、朝には強いんです。一時間や二時間、どうって事ないわ」
「・・・・・・」
(今日の瑠衣ちゃん、可愛くねー)
 黄龍は思いきり仏頂面をした。瑠衣はそれきりこちらを見ようともしない。あるいはそれは意識してそうしているようにも見えた。その背中を眺めながら黄龍はしばらくの間考えていたが、やがて身を翻す。
「……瑛那さん……?」
 突然動き出した気配を不思議に思ったのか、彼女は黄龍の名前を呼んだ。しかしその声は届かなかった。黄龍はすでに奥へ入って行っていたからだ。

「瑠衣ちゃん」
「……?」
 カウンターに肘を付きただ下を向いていた瑠衣は、黄龍の声にふと顔を上げた。
「瑛那さん?」
「わりー。ちょっとここ、開けてくんねー?」
「ここ……って」
 声はカウンターの中にある、厨房に通じる扉から聞こえてくる。瑠衣はほんの少し躊躇した。
 本当は今、誰にも会いたくなかった。普段ならそんなことはない。むしろ瑠衣は誰かと一緒にいて、なにがしか喋るのが好きな人間だった。だが今は少し事情が違った。
「……」
 誰にも会いたくなかった。でも、少しだけ……。
 瑠衣はしばらく迷ったその後、席を立った。

「昨日のパウンドケーキがちょっとだけ残ってたの思い出してさ〜……それからあったかい紅茶飲めば、ちょっとは眠れるんじゃねーの?」
 黄龍は笑って言うと、瑠衣の開けた扉をくぐってカウンターに入ってきた。両手でトレイを持っている。
「サンキュ、瑠衣ちゃん。俺様両手ふさがっててさ」
「嘘つき」
 瑠衣は苦笑してそう言った。
「あたしでも片手で持てるくらい軽いでしょ。そのトレイ」
 多分、自分が扉を開けなければそれ以上何も言わずに一人にしておいてくれるつもりだったのだろう。気を遣ってくれた、と言うよりは試されたような気持ちの方が強い。
「瑛那さん、ずるいわ」
「そー?俺様は自覚無いけど」

 黄龍の笑顔を見ているうち、瑠衣は何故か急に、たまらなく寂しくなった。
「もう、いいわ……もう、いい。そんなことはどうでも……」
 瑠衣はトレイを持つ黄龍の袖をぎゅ、と掴んだ。黄龍が目を丸くしたが、瑠衣は下を向いていてそれに気付かなかった。もし気付いたとしても、やはり瑠衣にはどうでもいいことだった。先ほどまでの独りでいたい気分はすべて、誰でもいいから一緒にいて欲しいという気持ちに移り変わっていた。
「ちょっとでいい……一緒に、いてくれる?」
 黄龍は一瞬怪訝な顔をしたが、取り敢えず肯定の旨としてトレイをカウンターに置いてから瑠衣を連れて表側に回り、椅子に腰掛ける。
「……ありがと、瑛那さん」
 囁くと、瑠衣もその左隣に座った。黄龍が目の前に紅茶とケーキを差し出してくれるのを漠然と眺める。
「これ食べたらちゃんと寝ろよ〜?寝不足で身体壊したりしたら何にもなんないぜ。今日のために受験勉強、頑張ってきたんだろ?」
 ……そう。あたしは今日受験する。受験、しなくちゃならない・・…・。
「……」
 瑠衣の中で、一度は押さえ込んだ思いが、再び頭をもたげ始めていた。
 彼女は一口紅茶をすすった。柔らかい香りが鼻孔を通り過ぎていった。その香りに、彼女は決意を固めた。

「……ね……瑛那さん」
「ん〜?」
 呟くように瑠衣は言った。
「今日。あたしも、一緒に行っちゃ駄目?」
「……!?」
 黄龍は驚いて瑠衣を見た。彼女は膝の上に両手で包み込んだ紅茶のカップを置いて、どこか遠くを見ていた。
「怪人が出たらあたしのこと、一緒に連れて行ってほしいの。……前にも言ったけど、受験日はもう一日あるもの。たとえ風邪をひいて熱が40度あったって出てみせるわ」
「おいおい、瑠衣ちゃん……」
 黄龍はその言葉を笑い飛ばしかけて、凍りついた。ゆっくりと隣の小さな少女の顔色を窺う。
 どう見ても冗談ではなさそうだった。口はきっと引き結ばれているし、肩は小刻みに震えている。意思の強い大きな瞳がこちらを向いた。
「お願い、瑛那さん……あたしも戦いたいの!」
 
 真剣な表情の瑠衣に、黄龍は慌ててかぶりを振った。
「ちょっと、待ってくれよ……!そんなの、オッケー出来るわけないっしょ!?俺が赤星さんに殺されるって!!」
「あたしの独断だって言うわ!瑛那さんには迷惑かけないから!」
「駄目!しつこいね〜……!」
 黄龍は怒ったように頭を掻いた。
「瑠衣ちゃん、中学や高校の受験って受ける子供が思ってるほど軽いもんじゃないんだぜ!?絶対、後で後悔するって!」
「後悔なんてしない!!」
 はっきりと言い切る。

 その時突然、瑠衣の表情が変わった。頭痛でも起きたかのように顔を歪める。すがりつくように、瑠衣の右手が黄龍の服の肩の部分を掴んだ。紅茶の入ったカップが音を立てて地に落ちた。ダージリンの香りと共に、紅茶が地面に珠の飛沫を散らせた。
「……!」
「今朝、夢、見たの……いつも見てる夢なの。凄く嫌な夢なの……」
 その手は、ジャケット越しでもはっきりとわかるほどに震えていた。
「パパとママが研究棟の地下に取り残されてて、火災が起こって・・・・・・天井のコンクリートが落ちてきて、それで・・・・・・!!」
 後半は俯き加減で、ほとんど声にならなかった。瑠衣は身を縮めるようにして黄龍の胸に顔を寄せる。その嗚咽を呆然と聞きながら、黄龍は赤星に聞いたOZの壊滅状況を思い出していた。落盤と火災で、行方不明という死者も出たほどの状況で・・・・・・。
「・・・・・・」
 この子は……遺体を見たのだろうか?とても尋ねられそうにない疑問が黄龍の頭をよぎった。
「もう嫌……こんな夢、見るのはもう嫌!頭がおかしくなりそう……!!」
 肩が強く握り締められる。想像もしなかった瑠衣の激しい一面に、黄龍はどうすることも出来ずに彼女の頭を抱いた。

「多分、スパイダルを全部倒すまでこの夢は終わらないわ。……パパとママを殺したのはスパイダルだから……だから」
 瑠衣が低く囁く。その声を聞いた黄龍は全身の血の気が引くのを感じた。彼女に対して抱いていた妙な不自然さが一気に氷解する。しかし溶けた氷は氷山より冷たく感じられた。
「スパイダルを倒すまで、受験も学校も全部、あたしにはいらない……マジカルスティックとリーブスーツさえあればそれでいい!!」
「瑠衣ちゃん……!」
 否定したいと切に思いながら、唇をわななかせながら、それでも黄龍は何も言えなかった。小さな魚の骨が喉の奥に引っ掛かるように、何かが胸につかえて取れない。それは彼女に対する恐怖によるものか、ただの同情か、それとも……。
「瑛那さん」
 薄く削がれた氷のように鋭い瞳が黄龍を射抜いた。
「あたしを連れていって!!戦場まで……お願い……!!」

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