★第17話 (4/7)
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 自分を行動不能に陥れているその感情がいったい何なのか、はっきりと自覚するまで黄龍は相当の時間を要した。
 黄龍は他人の気持ちがわからなくなった時、取り敢えずは何も余計なことを言わず、意識して時間をかけて考えるようにしている。もっともこんなことが出来るのは客観的に他人を見ることが出来る時だけだ。自分はお世辞にも深慮とは言えないし、気も短い。100%実践できているとは言いがたい。だが、これは自分にとって絶対に必要な、自分なりのやり方であることも知っていた。
(今、瑠衣ちゃんに一番必要なことは何だ?)
 黄龍はそれだけを念じた。そうしなければまた、暗闇に心が引きずり込まれそうだったからだ。


 黄龍は静かに目を閉じてかぶりを振った。
「駄目」
「!どうしてっ!!」
 瑠衣は握りしめていた黄龍の服を強く引っ張った。激情のままに叫ぶ。
「瑛那さんなら……瑛那さんならわかってくれると思ったのに!!あたしの気持ち……!!」
「わかるから、駄目なの」
「……!?」
 思わず手を離す。黄龍は立ち上がり、身を屈めて瑠衣の落としたカップを拾い上げた。店で使っているカップの中で、黄龍が一番気に入っているマグカップだった。描かれている絵を指でなぞる。
「俺様も昔は……中学ん時くらいはそーだったよ。瑠衣ちゃんに比べたら全然マシだけど、俺様もそれなりにいろいろあったからさー……瑠衣ちゃんの方がずーっと偉いぜ。行動起こしてるもんな。だからそこんとこはまあ、違うけど……」

 瑠衣は黄龍の言葉を黙って聞いていた。黄龍が自分を説得するその口調は、赤星とも黒羽とも輝とも、それに有望とも違った。赤星のように相手を思い、厳しく諭すのではない。黒羽のように大局を教え、冷静な判断を促すのでもない。輝のように純粋に自分を心配しているのでもない。有望のように一番に瑠衣の気持ちを考え、その上で背中を押してくれるのでもない。黄龍の言葉はそれら全てであり、同時にそれらのどれでもなかった。ただ不思議と、瑠衣は頭ごなしに反論する気にならなかった。

「だからすっげーわかる。瑠衣ちゃんの気持ちはさ。ただ、瑠衣ちゃんがこのままいったら、多分俺様みたいになっちゃう。それって、俺様的には絶対反対なワケ。瑠衣ちゃんが真っ当な道踏み外して、何していいかもわかんなくって、他人に寄り掛からなきゃ生きてけなくって……こんな年まで昔引きずってるのなんて見たくねーよ」
「……」
 瑠衣は驚いて黄龍を見た。今の今まで黄龍が自分のことをどんな風に思っているのかなど聞いたこともなかった。……そんなに、自分のことが嫌いなの?そう聞きたかったが、それは言葉にならなかった。それは多分、今この人の言っていることが、少なくとも彼自身にとっては本当のことだろうと感じたからだ。

 いけね……また、やなこと思い出しそうになっちまった。黄龍はかぶりを振って、本題に入る。
「だからさー、瑠衣ちゃん。俺様と『取引』しない?」
「え……?」
 意味がわからない。大きく瞬きした瑠衣に、黄龍は人差し指を立ててみせた。
「瑠衣ちゃんはちゃんと受験して、志望校に合格する。で、俺様達は瑠衣ちゃんの代わりに今日、絶対に怪人を倒す」
「……!」
 瑠衣は目の前の男の顔を見上げた。まともに視線がぶつかった。
 彼は本気だった。表面だけは微笑んでいるが、確かに本気の顔だった。
「瑠衣ちゃんだって、ホントはわかってる筈だぜ?そうでなきゃ真面目に受験勉強なんてするワケねーもんな。……どーかな?俺様的には、結構利害は一致してると思うんだけど……」
「……」
 瑠衣は組んだ両手を握りしめた。



 ふと、目を閉じる。
(あれはいつのことだったっけ)

 赤星と黄龍が大喧嘩をした。
 それはいつもの黄龍と輝のようなふざけ半分の喧嘩ではなかった。黄龍は本気で怒り狂っていたし、赤星はとても哀しそうだった。瑠衣は下校直後、それを目撃した。
 瑠衣は、自分は物怖じしない方だと自覚している。学校でも、喧嘩やいざこざが有れば率先して止めに入る方だし、それを意識もしている。
 あの時だって、本当は止めに入りたかった。瑠衣にとって、赤星も黄龍も友人であり、仲間であり、兄でもある。大切な人達だ。喧嘩なんてしてほしくなかった。本当なら、すぐにでも二人のところまで走っていって、間に割って入って、「やめてよ!」と叫びたかったのだ。

(……でも、出来なかった)

 親しい人達の喧嘩でありながら、瑠衣は止めに入るどころか何か言うことすら出来ず、ただ怯えて見守っているしかなかった。その原因は黄龍だった。瑠衣は黄龍の表情を見た時、わけもわからず突然、足がすくんで動けなくなった。
 鬼面。それは、ただ怒っているのではないように瑠衣には見えた。黄龍の声を聞いた時、瑠衣はぞっとした。まるで彼の中に猛毒が入り込んでいて、でもそれは彼の心臓と完全に癒着していて、吐き出したくても吐き出せず、ひたすら苦しんでいるような・・・・・・。

 怖いと思った。でも、それ以上に泣きそうになった。辛そうだった。苦しそうだった。初めて彼の負の部分を目の当たりにして、瑠衣はとてつもなく悲しくなった。その辛さと苦しさが自分に流れ込んでくる気がして……。
 今ならはっきりわかる。あの時の感情は哀れみでも同情でもない。

 あれは共感だった。



「……違う……これは取引なんかじゃないわ」
 黄龍の表情が目に見えて硬くなる。瑠衣は構わず続けた。
「約束。これは約束よ、瑛那さん……!あたしの代わりに怪人を倒して。そしたらあたし……少しは納得できると思う。約束の相手が瑛那さんだから……あたしのこの気持ち、ちゃんと持っていってくれるってわかるから」
 そうでなかったらここまでの条件はとても呑めなかった。この人はあたしの気持ちを全てわかった上で、そう提案してくれる。そう感じた。

 パパとママが大好きだった。いつも仕事が忙しくて、普通の子のようにどこかへ連れて行ってもらうとか、いつも一緒にいてもらうとか、そういうことは殆ど叶わなかったけれど、その分二人とも自分をとても大事にしてくれた。遊びに行けなければその分たくさん本を買ってきてくれた。いつも一緒にいられなければその分たくさん話をしてくれた。寂しいと思ったことはあるが、他の子を羨ましいと思ったことは皆無だった。父も母も、自分のことを本当に愛してくれているということを、瑠衣自身が誰より知っていたからだ。

 そんな両親を他人の悪意によって一度に奪われたことは、瑠衣にこれまで抱いたこともない感情を根深く植え付けた。辛くて、悲しくて、悔しくて……憎くて。何者かの仕業だと知った時は腑が煮えくりかえった。他の人の手前、感情を爆発させることだけはしなかったけれど、全身の血が沸騰して、胸が溶けて穴が空きそうな気がした。それから三日三晩は泣き通しで、全く眠れなかった。悲しかったからではない。それを知るまでのわずかな時間の間に、悲しみの涙はすでに流し尽くしていた。悲しかったからではなかった。ただひたすらに、悔しかったからだった。
 瑠衣は、その自分の思いを本当に理解してくれる人などいないと思っていた。勿論、自分のことを両親と同じくらい大切に思ってくれている人達が沢山いるのはよく分かっている。赤星、黒羽、有望、伯母夫妻、葉隠博士……彼らがいてくれたお陰で瑠衣は今でも自分を不幸だとは思わない。
 だがそれと、自分の気持ちを本当に解ってくれる理解者がいることは、全く別の話だった。

(びっくりした……びっくりした。ホントに)
 本当に……そんな人がいるなんて思わなかったから。

「指切りしましょ!」
 突然、さっと小指を差し出す。面食らう黄龍を見て、瑠衣は可笑しそうに笑った。
「だってこのくらいしないと、あたしの方が挫けちゃいそうだもの」
「瑠衣ちゃん……」
 瑠衣のその表情を見た黄龍は、ようやく心から安堵できた。やっといつもの、見慣れた彼女に戻ってくれた……。深く深く息を付く。同時に、少女らしいその発想に思わず苦笑してしまった。どうやら、やらないことには解放してもらえそうにない。
「古いことやるね〜……今の子、こんなことすんの?」
 言いながらも素直に右手を出す。二人は小指を絡ませた。
「ママがね。あたしが小さくて聞き分けがあんまりよくなかった頃、よくこうやって約束をしてくれたの。……こうしてくれた約束はね、パパもママも絶対守ってくれたの。だからあたしにとって、これは願掛けみたいなものなの」
 指同士を絡ませた右手を少し振って、彼女はおきまりの文句を唱った。
 それは澄んだ優しい歌声だった。

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