★第25話 (18/18)
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友の声音に、赤星の口元が開きかけて少しわななく。やっと言葉が形になった。
「あん時は‥‥俺が悪かったんだ‥‥。俺、てっきり‥‥。‥‥‥でも、お前が会いたいって思った気持ちが間違ってたはずがねえ。生き別れになった親に、逢いたいと思って何が悪い? お前の親父さんやお袋さんにどんな事情があったって、お前にはなんの責任もねえんだ‥‥」
無言だけが返る。赤星は視線を落とし、街灯がアスファルトに描いた光の輪のぼやけた縁を見つめた。
「俺は、その手紙読んで、嬉しいと思った。お前のお袋さんが、お前のこと、ずっと思っててくれたんだってわかって、嬉しかったんだ‥‥。実際はいろいろ難しいことがあると思うよ。でも、一緒にいられなくても‥‥、お前の言うように、二度と逢えないんだとしても、お前に対するお袋さんの気持ちがわかってよかった。‥‥‥そう思ったら‥‥ダメか‥‥?」
赤星が黒羽をそっと窺う。端正な横顔がかすかに横に振られたのを見て言葉を続けた。
「むりやり逢えとか、そんなんじゃないんだ。お袋さんの気持ちがわかって、お袋さんもお前の気持ちがわかってくれたら‥‥。それに、だいたいこのまんまじゃ、きっとお袋さん、幸せになんかなれねぇ気がするし‥‥」
「‥‥‥‥それは‥‥そうかもな‥‥」
しばらくの沈黙のあと、黒羽が小さくそう言い、赤星を見てほのかに笑んだ。
「‥‥逢うのはダメだ‥‥。きっとダメだ‥‥‥。でも‥‥少し‥‥考えてみるさ‥‥」
赤星の顔がふわりと明るくなった。いきなり左腕を黒羽の肩にまわして、ぎゅっと抱き寄せる。
そのまま空を見上げて、珍しいモノを見つけた子供のような声で言った。
「あ! 月が出てる」
東の空の低い位置に、ゆりかごのような少し太めの三日月が、淡く輝いていた。
「三日月って、こんな時間に出るんだったか」
「ありゃ、下弦の三日月っていうか二十七日月っていうか、これから新月になる月だからな」
赤星は黒羽の肩から手を放し、道路までぽんと飛び降りるとイタズラっぽい表情を浮かべた。
「下弦の月って、なんで下弦の月ってゆーか知ってる?」
「いや、理由までは考えたことがないが‥‥」
赤星が立ち上がると月を指さし、西の空に向かって大きな弧を描いた。
「あの月がぐるーって回っていって、西の空に沈む時、あのへっこんでる方‥‥つまり弦の方が、下になるだろ? だから下弦の月。下弦の月は夜中過ぎに昇るから見る機会が少ねえんだよ。上弦の月は満月に向かう月でさ。太陽が沈む時には真上かもうちっと西の空にいて、夜中ぐらいに弦を上にして沈む。そんな時間だから見る機会が多い」
赤星が得意げな顔で黒羽を見やる。黒羽は苦笑して頷き返し、続きを促した。
「今、太陽は俺達の足の下よりちっと東の側にいる。だからあの月がもっと高くなった頃には既に太陽が出ちまうから、あいつが弦を下にして沈むトコは、誰にも見えないはずなんだ。なのに『下弦の月』って言われるのが、なんか面白くてさ」
「‥‥沈むところは‥‥誰にも見えない‥‥か‥‥」
「下弦の月は、そのうち太陽に追い付かれる。太陽と重なったら見えなくなって、それが新月。でもさ、空から消えちまって、見えない月を"新"月って呼ぶのも、なんかプラス思考っぽくていいと思わねえ? ‥‥‥‥って、何笑ってんだよ?」
「いや‥‥。旦那が、そういう話のできるお人とはね‥‥」
「そっかな。月の満ち欠けって、太陽と地球と月の位置とかいろいろ書いて考えちまったけどな」
と、赤星がいきなり自分の腕をごしごしとこすった。
「おーっ なんか冷えてきた」
黒羽が慌ててジャンパーを返そうとしたが、既に彼の両腕は力強い手にがっしと掴まれていた。
「もう入ろうぜ。な?」
赤星がとんっと階段を登りざまに相手の身体を引き上げる。黒羽はそのままドアの方に向きを変えさせられた。だが、背中を押されても黒羽の両足は重い。その肩のあたりで沈んだ声がした。
「‥‥ごめんな‥‥‥‥」
黒羽は少し驚いて振り返った。
赤星は哀しげな笑みを浮かべて、黒羽を見ていた。
「考えたいこと、いっぱいあんだろうに、こっちのことで手一杯にさせちまって‥‥。今、お前に抜けられたら、俺、ほんとに回らなくなっちまう‥‥。‥‥でも‥‥。ほんとに、ごめん‥‥」
「‥‥いや‥‥‥‥」
左腕に触れている赤星の手を軽く叩き、黒羽はくるりと向き直ると、今夜、初めて、はっきりと笑んだ。
「オレはそれなりに楽しんでるさ。お前と付き合うことも、この仕事もな」
羽織っていたジャンパーを脱いで、赤星の肩にかけると言った。
「色々悪かった。もう、寝ないといかんな」
「ああ」
赤星は先に階段を駆け上がると、ドアをそっと開け、黒羽に先に入るように促した。いつも見慣れたその笑顔が、今夜は全身に染み込んでくるような気がした。
さっきまで、あの異界の男の血を引くこの身は、この施設のどこにも居場所が無いように思えた。
だが、自分が自分である限り、取るべき行動は決まっている‥‥。そう決めたはずだった。人類最大のタブーに触れることになろうとも‥‥。‥‥母のかつての伴侶を、斬ることになっても‥‥‥‥だ‥‥。
何が正義か。何を持って正義と言うのか。
常に真摯に正義のイデアを模索することは肝要だ。だがたぶん、万人に共通する正義など決して定義できない。だから、最後は己の正義を信じるしかないのだ。今、目の前にいる男もまた、常に己の道を歩いてきた。こいつの終着点も、たぶん自分のそれとは重ならないのだろう。それでも、今、二人の求める方向はほとんど同じで、道連れとしては申し分がなかった。‥‥それに‥‥。
こんなに無邪気にオレを受け入れて、引っ張り起してくれるヤツも、そういないかもしれんな‥‥。
黒羽はもう一度、はにかんだような笑みを浮かべ、ゆっくりと階段を上がった。二人の男が建物の中に消え、外の照明が消える。淡い光を放つ下弦の月だけが、ただ、それを見ていた。
===***===
その衛星の輝面は昨夜より明らかに細くなっていた。衛星の公転と、この惑星の自転と、この系の中心である太陽の織りなすゆるやかなショーだ。
冷たい夜気がブラックインパルスの兜を脱いだ頬をなぜる。暗黒次元にはないこの空気の動きがしごく心地よい。鳩尾の奥に熱を感じるのは、まだ身体が順応していないのだろう。
男は夜空を見上げ、深く一呼吸すると、小さな赤いカプセルを口中に含んでごくりと飲み込んだ。その化学物質が体内に埋め込まれたバイオアーマーを活性化させる。意志無き生体であるその不思議な塊は、神経繊維と同様の細い触手と酵素を大量に宿主の体内に放出した。黒騎士の類い希なる運動能力はさらに数倍にも増加し、神経伝達スピードが異常に高まる。同時に表皮から分泌された化学物質は、今彼が身に着けている鎧を一緒くたに取り込んで、強靱な外殻を形作った。
無数の虫が身体の内と外を蠢くような気味の悪さが一瞬だけ訪れ、すぐに異様なまでの高揚感が満ちた。どんな些細な動きも見逃さない視力が宿り、そして恐ろしいまでの力が、この腕一つにも潜んでいるのがわかった。
既に道は残されていなかった。
今まで歩いてきた道と同じように、まったく脇道の無い長い一本道が、男の前にただ続いていた。
異形が昂然と面を上げた。黒い空間に貼り付く柔らかい反射光は、クリーム色を帯びて不思議に優しく、何かをすくいあげるような形をしていた。
欠けゆく月を見上げながら、異界の男は、己の掌の中からこぼれ落ちていった存在を、過去という色で塗りつぶそうとしていた。
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