★第25話 (8/18)
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予備室の隅の作業机の上で、輝がのみの背を打つたびに、テンガロンハットを取った黒羽の額に汗が浮いた。だが固められた右腕を後輩に預けたその表情はいつものままだ。見ている黄龍の方がよほど痛そうなしかめっ面をしており、その隣にいる瑠衣も心配そうに手を揉み合わせていた。

黄龍の足はもう解放されている。小さな欠片も採取してきたが成分がよくわからない。化学的な手を用いるのは危険そうだった。そこで分光器で調べて薄い部分や気泡の入っているところから物理的に輝に壊してもらうことにした。着装を解除する際に石の内側をリーブ粒子が流れたおかげでだいぶ取れやすくなったのは確かだった。だが骨まで響いてくるような振動がかなり不快なのは事実。黒羽の腕の傷はまだ完治しているわけではない。そう思うと見ている方が引きつってしまう。

赤星は特警の対策本部に参加中。葉隠や田島、有望はアトリスやホーネットの残した慰留品や戦闘ログから、必死に対策を練っている最中だった。

最後の石がぱかりと割れて、黒羽が大きく息をついた。
「ふう‥‥。やれやれ‥‥。助かりましたよ、坊や」
「あー、よかった‥‥。緊張しちゃったよっ」
ひたすらに反響に集中し続けた輝は、汗まみれの顔でほっとしたように笑った。
「2人とも、お疲れさん。ほらよっ」
黄龍が上からとってきたおしぼりの袋をぱんと割って、すっと差し出す。
「ありがとっ エイナっ」
「なかなかいい手つきじゃないですか、瑛ちゃん?」
2人はくすくすと笑ってそれを受け取ると、遠慮せずに思いっきり顔を拭いた。
「麦茶入れましたー! 喉かわいたでしょ?」
「あ、オレもう、からっからだよーっ」
瑠衣の声に、輝は急いで道具を片づけた。

カラカラと氷の音をたてて4人が麦茶のグラスを手に取った時、ちょうど赤星が入ってきた。黒羽と黄龍の顔を見て、ほっとしたように微笑む。
「なんとかなったみてえだな?」
「ま、こちらには名匠がおりますからね」
黒羽が解放されたばかりの手で、輝の肩を軽く叩く。輝は苦笑して言った。
「でも、のみの刃、完璧にだめにしちゃった。石打ちのたがねじゃないんだもんね」
「あーらら。そりゃOZで弁償だな、赤星サン?」
「まったくだ。とにかく輝、サンキューな」
赤星は少し笑ったが、すぐに険しい眼差しになった。他の4人の表情もすっと引き締まる。

「西条さんや早見さん達も入院した。症状は今朝の患者たちより、だいぶ悪い状況だ」
「‥‥‥‥先輩や早見が‥‥あんなもんで死ぬはずはねえ‥‥‥‥」
黒羽が呟くように言った
「ああ、俺もそう思う‥‥。だけど今朝運び込まれた患者の中には、老人や子供もいてもって三日って診断の出てる人もいるそうだ」
「とにかくなんか治し方とかねーのかよ? そうだ、あの舌は?」
そう訊ねてから黄龍は、思い出すだけで気色わりーと、震えるマネをした。
「筑波にヘリで移送した。あそこのほうが多角的に調べられるからな。あれ無しでもワームってのばらまけるのかどうかはわかんねえけど、これ以上被害が広がらないことを祈りたい気分だよ。ただ、先生たちの話じゃ、治療法についちゃあんま期待しないでくれって。ま、それができるなら、広東住血線虫の治療法だってとっくに見つかるってのが道理だもんな」

輝ががばっと立ち上がった。倒れそうになったグラスを瑠衣がぎりぎりで捕まえる。そんなことにはお構いなしに、輝が宣言するように言った。
「オレっ すぐ探しに行けるよ、アイツのことっ! どこ行けばいいのっ!?」
赤星の表情がふっと和み、茶目っ気を含んだ声で言った。
「まずは仮眠室かな」
「え?」

赤星が輝、黄龍、瑠衣の顔を順に見た。
「こんど、あの怪人が出てきたら、一発で決めなきゃなんねえ。警察も、俺達がアイツだけに集中できるように体勢を整えてくれてる。博士達の結論も小一時間で出るだろ。そしたら声かけるから、それまでとにかく身体のケアして休んでくれ。その時に全力が出せるように」

自分や黒羽と、3人との最大の相違はスタミナだと赤星は認識していた。スーツの完成度も手伝って着装しての戦闘についてはもうまったく心配ない。だが、長期戦になった時、やはりスタミナの差は大きい。そしてそれは三人もよく理解していた。素質に恵まれ、その上小さな時からむちゃな鍛え方をしてきた赤星や黒羽の体力に、一朝一夕で追い付こうというのはムリな話だった。

「うん‥‥。わかった。オレ、身体ほぐしてから、ちょっと寝るね」
輝がそう言うと、黄龍も大きく伸びをした。
「考えて見りゃ、俺様、いつもより3時間も早く起きてんだっけ。寝よ寝よ」
「瑠衣も、身体、しんどくねえか? お前は部屋戻ったほうがいいかな」
「ううん。仮眠室でへーき。だってみんなで一緒に行動できたほうがいいもん」

「瑛ちゃん。瑠衣ちゃんに手ぇ出したら、おしおきだぜ?」
黒羽のぼそりとした一言に、黄龍は飲みかけてた麦茶を喉につまらせ、赤星はがくっとコケた。
「この、バカ黒羽っ! んなわけ‥‥」
「だめだめだめっ! オレが真ん中に寝るよっっ!」
黄龍を遮って叫んだのは輝だった。
「おめーだって、オトコだろーがよっ」
「オレはいいんだよっ 妹いるんだからっ」
「それでなんでいいのか、30字以内で説明してみろってーのっ!」
反論しようとした輝の口を、赤星の大きな手がむぎゅっと覆った。

「いーから! 二人とも、寝ろ!」
「へーい」「はーい」
間延びした返事をすると、それでも二人は、やいのやいのと小声で言い合いながら部屋を出ていった。瑠衣はくすくす笑いながらあとに続く。見送った赤星は、三人が部屋を出たとたん、黒羽と顔を見合わせて抑えた声で笑った。

黒羽が腕時計を見やると、テンガロンハットに手をのばした。
「赤星。ちょっと出てきていいか?」
「見舞いか?」
「ああ‥‥」
「お大事にって言っといてくれ。絶対にやっつけるからって‥‥」
「そうだな‥‥。本当にそうせんとな」
黒羽は唇の端でにっと笑うと、帽子の鍔をぐっと引き下げ、敬礼もどきを残すと、部屋を出ていった。


西条も早見も思ったよりは元気そうに見えた。あの時、こちらが片腕を固められたりしなければ、二人も警官隊も入ってくる隙はなかったろう。そんな黒羽の表情を読んだのか、西条は開口一番「かえって気遣いの種を作って悪かったな」と言った。黒羽は言葉を失って、ただ頭を垂れるばかりだった。

ベッドに半身を起した早見は「いい実験台できてよかったって、センセに言われたぜ」とふくれていた。そして「でもオレ、夜勤だったからな。今日は堂々と寝てていいんだぜ!」と得意げに宣言し、オーバーな動作で布団を被るとばたんと横になった。何事につけ騒がしい患者と同室になってしまった西条はちょっと苦笑し、枕から黒羽を見上げて言った。「とにかく焦るなよ。お前達も気をつけるんだ」
警察病院にも重い症状の患者がいた。意識が混濁し、マスクやたくさんのチューブを付けられたその姿を見て、黒羽は拳をぎゅっと握りしめた。

建物を出て、駐車場のはずれに停めた車に向かいかけた時だった。大きな木の下に一人の男が佇んでいた。黒いスタンドカラーを几帳面にも襟元までかっちりと止めている。なのに柔らかいくせのある髪は長めで、少しアンバランスな印象だ。黒いスラックスに黒いサングラス。全身黒づくめだった。

その男が全身から発している気配に、黒羽はひどく動揺している自分を感じた。

信じられないほど腕の立つ人間だ。それに何か恐ろしい感じがする。

なのに‥‥、なぜ‥‥‥‥。
‥‥‥‥なぜ、こんなに懐かしいような気がするのか‥‥‥‥? 

男が木陰から光の中に出て、歩み寄ってきた。
「健‥‥‥‥。黒羽、健だな‥‥」

黒羽はごくりと唾を呑み込んだ。掌がじっとりと汗ばんでくる。
正面に立ち止まった男の手が、ゆっくりとサングラスにかかった。

だめだ、取るな。取らないでくれ‥‥。

その素顔を見たいと強烈に願うと同時に、見たくないとも思った。

男は少し俯き気味にサングラスを取ると、頭を軽くふって髪を払い、まっすぐに黒羽の顔を見つめた。
「久しぶりだな、健‥‥。覚えているか‥‥?」

忘れるはずがなかった。枚数こそ少ないが写真だって大事に持っている。それより何より、自分の胸の中のただの映像だったものが、いきなり色彩を帯びて動き出すこの感じが、全ては真実だと告げている。

「‥‥おとう、さん‥‥?」
黒羽の唇が、頼りなく、その言葉を紡ぎ出した。男はふっと微笑んで、言った。
「‥‥そうだ。‥‥立派になったな、健‥‥」

なぜ、写真とも、記憶とも、変わっていないのかとちらりと思った。だが、その時はそれでも筋が通るように思えた。黒羽はふらりと男に近づき、もう一度確認するように言った。
「お父さん‥‥なんですね?」
男は微笑んで深く頷き、息子に歩み寄るとその肩を抱くように腕をあげた。

次の瞬間、まったく無防備だった黒羽の首筋に鋭い手刀が落ちた。

ブラックインパルスの腕の中に崩れた黒羽健は、意識を失ったまま、異界の男とともにその空間から消えた。

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