★第26話 (1/20)
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そこには眠れる街があった。

建造物も道路も、街の全てがうっすらと灰色の微粒子に覆われている。振り仰げば、絵の具で塗ったような紺青の空に緩やかな山々の稜線が浮かんでいた。白い火山性ガスさえ噴き上がっていなければ、さぞ美しい風景だったことだろう。
一面の火山灰とや噴煙もさることながら、人の気配がきわめて少ないことがその島全体に異様な雰囲気を醸し出している。島中央部の火山活動が活発になった為、全島避難命令が出て2年近く、住民は未だにこの島に戻れずにいた。

眼下の街を眺めていたスパイダル参謀ブラックインパルスは踵を返し、空気中に漂う硫黄の匂いを気に留める風もなく山麓を上り始めた。アラクネーが見つけてきたこの島は、前線基地として願ったり叶ったりの場所だった。時々調査の人間がやってくるらしいがそれ以外はまったく無人。現に自分が数日前にここに来てから、訪問者は誰もいない。その上、島からこの国の首都までは直線距離にしてたった200キロ程度だった。

木々に埋もれた岩にぽかりと開いている洞窟から、黒い鎧が山の内部に踏み込んでいく。2名のオズリーブスに破壊された試験基地と同時に構築を始めていたこの基地は、必要十分な設備を整えていた。内部で働いているアセロポッドは全員が三次元用で、普段から人間の姿をさせてある。できるだけジャマを入れないためのカモフラージュだった。とはいえスパイダルの基地の中に、作業服を着たいかにも三次元人‥‥がうろうろしているのも、妙な眺めではあった。

そのまま通路を進むと、前方の部屋からスプリガンの悪態が聞こえてきた。中に入ると珍しいことに、機甲将軍がイライラした声をあげ、つんけんした頭部の部品をがんがん叩いている。
「くそったれ! なんでこーなるんだ!」

「どうした、スプリガン。思わしくないのか?」
ブラックインパルスの声に振り返ったスプリガンの表情には、なんとなく無精髭でも生えてそうなムードが漂っていた。もちろん機械で出来たその顔に髯などあるわけはないのだが‥‥。
「ああ、司令官。すんませんね。どうも思ってたふうにいかねぇんで‥‥」
スプリガンは悔しそうにそう言いながら、機械の山に視線を戻した。

部屋のかなりの部分が何かの装置で占められていた。その中央に鎮座ましましているのは一抱えもあるような細かい部品の塊だ。あちらこちらに小さな稲妻のような煌めきが走っている。
周囲の装置は、真ん中の部品の塊――ディメンジョンクラッカーの実用品――にエネルギーを与えている。この島のもう一つのメリットは、地下のマグマの活動が活発になっているために、豊富な地熱が利用できることだった。

「試作品と動きはまったく変わらねえ。でもって、何百倍もの出力もきっちり出てる。だのに次元の壁が破れねえんですよ!」
「どういうことだ?」
スプリガンは脇のデスクに置いてあった小さな機械を取り上げた。ブラックインパルスから預かっているディメンジョンクラッカーの試作品だった。

「こいつが開く次元通路はごーく細いもんで、せいぜい声が届く程度です。実用で使うのは、100倍以上の規模で穴あけなきゃならねえ。で、10倍ぐらいまではスムースに行くんですが、それ以上になるとやたらエネルギーを喰うようになる。出力を100倍にして、やっと20倍とかそんな感じです。今のまんまじゃ、安心して行き来できるのはロボットバードぐらいですぜ!」

「まるで伝書鳩だな」
「なんですかい? そりゃ」
「いや、なんでもない。もっとエネルギーをあげて済む問題でもないのだな?」
「オレも最初はそれでいいと思ってたんですけどね。まともに使えるレベルだと、比率がもっと悪くなるんでさ。1000倍にしてやっと30倍ってな調子じゃ、メカの方が耐えられねぇんですよ。途中から対数で利いてくるとは思わなかったぜ、ったく‥‥」

「我々の世界では通路が安定しない。こちらでは安定しているが規模が小さい‥‥。なかなか難しいものだな」
「オレも考え方を改めましてね。逆に空間の方に歪みを与えて、通路が開きやすくなるようにしてやらないとダメなんじゃないかと思うんですよ。要はきっかけというか、触媒というかそんな感じで‥‥。だが、そいつがなかなか見つからなくてねェ‥‥」

「だが、その方向で考えるしかなさそうだな。なんとかなりそうか?」
「よけいな邪魔が入らなけりゃぁ、なんとか」
「OZの連中なら心配するな。アラクネーが頑張ってくれている」

スプリガンはちょっと思い出し笑いをすると、腕を組んで小首を傾げた。
「お姫さん、一時はずいぶんしょげてましたが、実はけっこう根性あったみてーですな。あそこまでとは思わなかった」
ブラックインパルスは少し顎をあげると、下目気味にスプリガンを見た。
「まあ、そうでなければあの年齢で軍に引き入れようとは思わんよ」
上司の声にちょっぴり自慢げな色が混じった気がして、スプリガンは苦笑した。
「へーへー。じゃ、こっちももうちっと頑張ってみますかね」
「頼むぞ、スプリガン」

ディメンジョンクラッカーの実験を成功させて任意に次元通路を確保する。それがブラックインパルスの急務だった。


===***===

教壇では担任の教師が明日の注意事項などを述べている。掃除が終わったあとの夕礼だ。今日は木曜日。入学式から3日が過ぎて、色々なことにもなんとなく慣れてきた。明日は午後から生徒会による新入生歓迎会の予定になっている。クラブ紹介などもあるそうだ。瑠衣は既に教科書などを鞄に納めて帰り支度を整えた状態で、教師の話を聞いていた。

ここ、松風高校は歴史のある高校にもかかわらず、一部単位制や他校との交換授業など柔軟で新しい試みをしている高校だった。中学2年生になった頃、ここに進学したいと思ったものの、今の成績ではちょっとムリかなとも思っていて、その話を両親に切り出した時のことをよく覚えている。

小遣いで買った高校案内を見せながらの自分の説明を、父と母は心底嬉しそうな顔で聞いてくれた。何かをやりたいと思うことがとても大切よ、と母は言った。その気持ちがなければ何も進まないから‥‥。自分で考えて、自分で調べたのがとても偉かったねと、父は言った。人の話は大事だけれど、考えを決めるのは自分だし、そのためのデータは自分で集めるに越したことはないんだから‥‥。
成績のことは今から頑張ってみて、その時その時でまた考え直していけばいいというのが、その時の結論だった。それでもその後は、勉強にも前向きに取り組めるようになった気がした。机に向かう"習慣"が身に付いてきたし、何より、成績が上がることより、"分る"ことが勉強の楽しさなんだとわかった。

‥‥そんな折りだった。あの事件が起ったのは‥‥。

だから余計この高校に来たくて無理を言ってこちらに一人で残った。「森の小路」がOZの予備基地で、赤星たちが両親を殺した異次元の敵と戦う準備をしているのだと知ったのはその後のことだった。その時心の中に生まれたうねりは、黄龍や輝が加わって来るにつれてどんどん大きくなっていって‥‥。

瑠衣は胸の前に手をあげると、左手で、右手の小指を包むようにした。

受験の日の朝‥‥。もし黄龍と話してなかったらどうなっていただろう。こっそり戦場に行ったとしたら、赤星や黒羽はきっと怒ったろうしそれ以上に哀しんだだろう。だからと言ってスパイダルのことばかり考えながら試験に臨んでも、結果は思わしくなかった気がする。

あの朝、スパイダルを倒すまで学校はいらないと思った。それは本心だった。でも、この学校に来ようと必死になっていたのも本当だった。まさに黄龍が言い当てたように‥‥。そしてあの人は、あたしのかわりに戦ってくれて、あたしはあの約束のために合格した。

あの時の、あの約束のおかげで、今、自分はここにいられる、と瑠衣は思った。

幸い、入学式を含めて4日間、一度も遅刻、早退をすることなく出席できている。それでもたった明日のことさえどうなるかわからない。だからこそ、その時その時で、目の前にあることを一生懸命やる。それしかなかった。



日直の号令で生徒達が一声に礼をする。とたんに教室の中がざわめきで満ちた。
「ねえ、瑠衣ちゃん。駅のそばの新しいクレープ屋さん、昨日行ってみたんだけど、すっごく美味しかったよ。帰り、寄ってみない?」
「あ、ごめん‥‥。今日、早く帰らないといけないの」
「あー残念! じゃ、また今度行こ?」
癖のない長い黒髪をさらりとゆらして小首をかしげた隣の席の少女は、柔らかに微笑んだ。

少女の名は千葉メイ。小柄で、一見引っ込み思案な感じに見えるのだが、入学式の日に名乗ってきたのは彼女の方だった。中学で仲の良かった友達がみんな別のクラスだったことにちょっぴりがっかりしていた瑠衣は、とても温かい気持ちになった。これからの高校生活がうまく行くと思えてしまう、そんな出会いだった。

「そういえば、瑠衣ちゃん、部活ってどっか決めてるの? 中学の時、何かやってた?」
「体操部だったの。あと時々演劇部も‥‥」
「ほんと!? あたしも演劇部だったのよ! よかったー! ねえ、いっしょに入ろうよ! 一人で行くの、ちょっと心細いなぁって思ってたの!」
「ごめん、メイちゃん。あたし、高校では部活、入らないつもりなんだ。ちょっと色々あって‥‥」
「えー。そうなの? ‥‥‥‥も! もしかして!」
メイは急に声を潜めると、秘密の話をするように瑠衣に顔を近づけた。
「あの若い親戚のおじさんたち、ほんとはすごく恐くて、お手伝いしないとぶたれるとか‥‥」
「は?」
「瑠衣ちゃん。何か悩んでるなら、相談して。ね?」

メイは瑠衣の手をしっかと握って相手の顔をじっと見上げた。瑠衣は目をまん丸にしてメイを見つめ返すと、次の瞬間吹き出して、両手をぱたぱたと振り回した。
「違う違う、違うってば、メイちゃん! 赤星さんもお姉さまもぜんぜんそんなことないよぉ!」
出会って3日めの友人のドラマチックに飛躍した発想に、瑠衣は笑い転げる。メイはちょっと拍子抜けしたように言った。
「なーんだ‥‥‥‥。‥‥だっておばさん、ウラがありそうなくらい美人だし、おじさんはちょっとランボーそうに見えたんだもの‥‥‥‥」

そのコメントにまた爆笑しながら、瑠衣は入学式のことを思い出した。九州の伯父と伯母が来られないことはあらかじめわかっていたし、もともと一人で出席するつもりだった。スパイダルの寄生虫事件があったのが入学式の前日で、皆疲れ果てていた。
そうしたら当日の朝、赤星が珍しくスーツを着て喫茶店に居たのでびっくりした。後から入ってきた有望もすっかり"らしい"身支度で‥‥。入学の手続きの時に上京した伯父が学校側に話を通してくれて、瑠衣の身元保証人は赤星ということになっていたから、赤星なら入学式に出席できるのだった。

幸い呼び出しもなくて、二人は保護者席の一番後ろの席で最後まで入学式に参加してくれた。一人でいるよりちょっと緊張してしまったけれど、入学式に知人がいてくれるのは、改めておめでとうと言われている気がして、とても嬉しかった。
閉会して退出する時、瑠衣と二人がちょっとだけ目配せをかわしたことを、すぐ後ろにいたメイはしっかりチェックしていたらしい。あとでどういう人なのと聞かれて、とっさに、親戚の夫婦で、今、彼等の家に世話になっている‥‥と答えてしまったのだった。

「あの二人のセイじゃないの。ただ‥‥あたしが‥‥ちょっとやりたいことがあって‥‥」
瑠衣はメイをもう一度見つめると、微笑んで言った。
「いつかゆっくり話すね」

いつかは、誰かに話せる時が来るんだろう。
でもそれは全てが終わって、平和になってからのこと‥‥。
そうなるかどうかは、自分たちの肩にかかっていた。

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