★第28話 (3/18)
(前へ) (次へ) (表紙)

 男は、その風体と比べて意外なほど涼しげな切れ長の目を凝らし、内部の何かを見定めるように目の前の有望を見つめる。まじまじと見られて有望は少し顎を引いたが、負けじと睨み返した男の顔に、ふと瞬きした。そのまま見開いた目を、男の視線に合わせる。二つの目は、傍目にも明らかに共通項のある目だった。
 後ろで見ていた翠川と瑠衣は、不意の有望の態度の変化に、頼みの赤星の顔を見上げた。が、赤星も赤星で、有望の肩越しの男の顔を凝視している。
「・・・・お兄ちゃん」
 ぽつりと有望が言った。翠川と瑠衣の驚きの声があがる。
「あっ、やっぱり・・・あの、俺な・・・」
「お兄ちゃん!」
 有望は何か言おうとした男の声を遮り、男のくたびれたジャンパーの襟元を掴んだ。
「おに・・・どこ行ってたのよ!いっ・・・今何年だと思ってるのよ!どうしていきなり研究所になんか来るの!?」
「いや、悪いあの・・・ここに勤めてるって人づてに聞いて、俺な・・・」
「やっぱり兄ちゃん!」
 またも男の言葉は遮られ、赤星が身を乗り出した。
「どっかで見たと思ったんだ、やっぱり亮平兄ちゃんだ!」
「おお、お前、竜太か?」
 男は、有望との対峙から逃れるように赤星に向き直る。
「そう、俺だよ、赤星道場の竜太!」
「やっぱそうか、全然変ってないな!」
 と、後ろの小さな手が赤星の袖を引っ張った。
「赤星さん、お兄ちゃん・・・って?」
「主任のお兄さんなのっ?」
 翠川と瑠衣は赤星を見上げつつ、おずおずと男の顔に目をやった。男は戸惑ったように顎を引き、怪しい者じゃないと言うように愛想笑いを浮かべ、小刻みに頷くようにして頭を下げた。
「おお、紹介するよ。この人、星加亮平さん。有望の・・・・」
 と、赤星は有望に目をやった。と、その目に有望の腕が飛び込んでくる。その手は再び男の、亮平の襟元を掴み、そのまま引き寄せた。
「・・・今頃帰ってきて・・・・・」
 亮平の埃っぽい服に顔を押し付けたまま、震える声がこもって聞こえた。
「いや、その・・・・・・」
 言いよどむのが癖なのか、ただ気まずいためか、亮平は明確な言葉を発せないまま有望の肩を叩いた。
「すまん有望」
 有望はしばらくそのままで押し黙っていたが、やがて思い切ったようにぱっと顔を上げた。いかにも泣いている風だったが、その顔はいつも通りだった。
「ごめんなさい!あんまり急だったから驚いちゃった。久しぶり、お兄ちゃん」
「あ、ああ、久しぶりだな。あ、どうだ、元気だったか」
 亮平は、有望の様子に安堵したのか、狼狽に強張っていた顔つきを和らげた。
「ええ、この通り。ね?」
 と、赤星に振り返った。赤星も笑顔で頷く。ひとしきり頷きあったあと、有望はやっと翠川と瑠衣に目を向けた。
「2人とも紹介するわ、星加亮平。私の兄なの」
「ああ、こりゃどうも・・・こちらは?」
「先輩の娘さんと、赤星の、えーと・・・道場の人よ」
 うっかり何でも言ってしまいそうな所を踏みとどまり、巧みにぼかして紹介すると、2人は自己紹介しながら頭を下げた。
「2人とも、この人家出たっきり13年も留守にしてたのよ。信じられる?」
 最後の言葉は亮平を咎めるように睨みながら、それでも小突く手も嬉しげに見える。
「そんなに経ったか?」
「経ったわよ、だってあの時お兄ちゃん高3だったでしょ、今私27だから・・・・・やだお兄ちゃん、もう31じゃない!お兄ちゃんが三十路だって」
 有望はころころと笑いながら、亮平の腕をトンと突いた。
「そりゃお前、俺だって時間が経ちゃ30になるよ。お前だってすぐなるんだぜ、若ぶりやがって」
「そんな事ないわよ。でもぱっと見て分からない訳だわ、あの時お兄ちゃん高校生よ。すっかりおじさんじゃないの」
 と有望は言うが、亮平はなるほど有望の兄らしく、20代でも十分通りそうな、なかなかの美男だった。身なりさえ整えれば相当なものになるだろうと思わせたが、頬骨の辺りにある無理やり治したような、ごく小さいが醜い傷跡が玉に瑕ではある。それに有望も気づいたようで、
「どうしたのお兄ちゃん、その傷」
「え?あ、ああコレか。これは・・・いやちょっと、なんかで引っ掻いちまって」
 それと敢えて難をつけるなら、このどこか焦ったような、周囲にびくついたとも言える様子か。キャップの鍔の影で、その目は時折小刻みに周りを気にしている。煮え切らないような言葉つきも難と言えば難だった。
「ホント?何やったらこんなになるの。また余所見でもしてたんでしょ」
「いや・・・・あ、そうだ、俺こんな事してらんないんだった。仕事で帰って来てんだ、早く会社帰らんと」
「仕事?・・・そう言えばお兄ちゃん、今までどこで何してたの?」
「あの、中国のさ、運送会社だよ。えっと・・・日本に輸入の仕事でさ」
 そう言いながら、亮平は足元で軽くぴょんぴょんとやった。早く行かないと、と言う事だ。
「中国?中国にいたの!」
 言葉の淀みは、長く中国にいたせいだろうか。
「ああ、そうなんだ。あの〜・・・だから、仕事終わったら日を改めてまた来るから。な」
「そうなの・・・じゃあ仕方ないわ。早くお仕事済ませてよ、お父さんとお母さんにも報せておくから」
 そう言うと、亮平は突然慌てた様子で両手を振った。
「あ、い、いい!家には報せなくていいから!」
「なんでよ!2人とも喜ぶわよ」
「あの、いやお前そうじゃなくて・・・・あのー、ホラ、俺が直接行くから。いきなり行ってさ、驚かしてやんだよ。だから報せんなよ、秘密にしとけ。な」
「ああ、そういう事ね!分かったわ、お兄ちゃんが言うまで絶対内緒ね」
「そうそう、そういう事」
 と、2人は一緒にいたずらを企てる兄妹の顔で笑った。
「ああ、それじゃあ俺もう行くわ。・・・お前ぇ・・・俺がまた来るまで元気でな、竜太も。あ、そっちの子2人も」
 と、亮平はズボンの尻のポケットから、黒い合皮らしい古ぼけた財布を引っ張り出した。
「少ないけど、これ・・・」
 財布を空けて札入れを覗き込む。と、ちょっと表情が変わる。少し逡巡する様子を見せたが、やがて振り切るように札を取り出した。一万円の新札だった。
「これな、5千円札2枚にしてもらって、2人で分けな」
「ちょっとお兄ちゃん、そんな・・・・」
「いいからいいから、とっとけって。お前らどうせこの子らの世話してると思ってホントは遊んでもらってんだろ、お礼だよ。なあ?」
 と、「この子ら」に同意を求める。2人はどうしていいものか、翠川の手の一万円札と亮平の顔を見比べた。
「じゃ、俺もう行くから・・・」
 言うが速いか、亮平は待ちかねたように勢いよく踵を返し、走っていった。が、5、6歩も行かないうちに、足踏みをしながら止まり、振り返った。
「あー、親父と母さん・・・元気か」
「ええ!もう元気元気。お兄ちゃん2人とも老け込んでると思ったんでしょ?まだまだ全然よ、帰ったら怒鳴られちゃうんだから」
「はは、そうか・・・そうかそりゃ良かった。じゃあ、またな」
 今度こそ亮平は走り去っていった。よほど時間が押してきていたらしい。何気ないような走り方からは思いもよらないほどの速度で、あっと言う間に路地の向こうに消えた。

(前へ) (次へ) (表紙)
(一覧表へ) (龍球TOP) (TOP)