★第28話 (5/18)
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160kmを投げる、球だけならば超高校級の投手。でありながら、甲子園に出向く事のないまま帰還した星加亮平に対して周りの人々は親切ではなかった。つい数日前までの手放しの賞賛ややっかみと同じように、遠巻きに針を刺してくる冷笑と舌打ち。
無理のある兄の笑顔は、翌日からの周りの人々の変貌を、「高校球児」の成れの果てを、あらかじめ知っているようでもあった。また負けちまったよ、と、腫れ上がった肩を担いで試合先から帰ってきた兄は、玄関先まで迎えに出た有望にそう言った。それ以外の自分の行動への説明らしい説明は、後にも先にもなかった。
「どうしようもない」
「お前には分からない」
その二言しか。
兄の弁護は一切しなかった。
兄に再会した今、改めて思い起こせば、取り立てて仲のいい兄妹と言う訳ではなかったように思う。小さな頃はお兄ちゃんお兄ちゃんと後ろを着いても回ったが、中学高校にもなればそうも行かなかった。道で会っても軽く目で挨拶し素通りするだけ、兄の部活動の事など何部に入っているかくらいしか気に留めない。そういうような、「ごく普通」の兄妹だった。赤星兄弟の仲の良さが傍目に珍しいものであると知ったのは、その頃だった。
両親は優しかった。普段と変わらず、負け試合などなかったかのように以前と変化なく優しかった。良くも悪くもそれは兄の野球から故意に目を逸らした結果でしかなかったのは目に見えていたが、有望はそんな両親にも何の言及もしなかった。
赤星にも何も言わなかった。彼が当時の事を知ったのは、大学に入ってからだった。
今から考えれば、両親とも辛い思いの中で兄を労わっていたのだと分かる。やがて父は、そろそろ頃合と思ったのだろう。たとえ野球しか出来なくてもいい、今からいくらでも他にしたい事をさせてやる、もう一度野球をやってもいい、などと言うようになった。夜中に兄と2人で話しているのを、有望は偶然耳にしていた。
しかしそう言った両親もまた、打たれ弱い気遣い症の兄にとっては、自分の顔を見ずに詰め寄ってくる存在でしかなかったのだろう。噂話の土足でどこへでも踏み込んでくる人々と同等に。
夏休みが明けるのを待たず、兄は家を出ていった。
「お兄さんが帰ってきたんだって?」
後ろから言われ、有望は兄の写真から弾かれたように顔を上げた。
「あら、田島博士・・・もう聞いてらしたんですか?」
「ああ、赤星がね、言ってたよ」
田島がコーヒーを横に置いてくれるのに軽く頭を下げ、有望は頭を現在のOZベースに切り替えた。
「そうでしたの。ええ、今日、物性研究所のすぐ前で。いきなりでしたのよ、なんでも仕事で日本に帰ってきたんだって・・・」
「10年以上も留守にしてたんだってね。・・・それいいかな?」
と、田島は机上の写真を示す。有望はそれを手渡した。
「そうそう、高校野球の選手だったって言ってたな」
写真は、高校3年の時のものだった。予選開幕前の練習の合間、と言った場面だろうか。練習用のユニフォーム姿の17歳の兄は、ベンチで麦茶を飲んでいるところを、横から不意のシャッターを切られたようであった。
「さすがによく似てるなあ。この顔で有名な選手と来たら、モテただろ、お兄さん」
「やだわ、そんな事ありませんでした。兄はそういう事が苦手で・・・でも野球部のマネージャーさんが好きだったみたいな事は、兄の高校に行った先輩に聞きましたっけ」
最後の負け試合でそっぽ向かれてしまった、と言う事も。
「そいつは野球少年らしいなあ・・・・なんだ、私にも紹介してくれたらよかったのに」
「ごめんなさい、仕事だって言って、すぐ行ってしまったもので。でも仕事がひと段落したらまた来るって言ってましたから、その時に」
「そうしてくれよ。ところで、特警から来た例のアセロポッドの資料は」
と、田島は有望の前のパソコンの画面を指差した。カーソルが中途半端なところで止まっている。
「あっ、あらやだ、ごめんなさいボーッとしてて!すぐまとめますわ」
田島は写真を置き、笑いながら自分の部署に戻っていった。
あるいは・・・・
有望は、そうは言ったがまだキーボードには向かわず、もう一度写真を眺めた。
学生時代剣道部で汗を流していたと言う田島に聞けば、兄の気持ちをもっと深く慮る事が出来るのかもしれない。
例えば、兄が兄でなく、近所のよく知るお兄さん、であったなら。
子供時代はともかく、学生になってからはなまじ見せられた現実に、有望にとっては醜い、との感想しか抱けなかった集団球技の世界。傍目に美しいチームワークに見えるかもしれないが、その実「連帯責任」と言う名の暗黙の牽制の仕合でがんじがらめ、実力本位と言いつつも厳然たる年功序列の、有望には到底理解出来ない理不尽な割り切れない世界に、好んで身を置き続けやがて追いやられるように去っていった。それでも野球を愛し続けながら、しかし全く別な世界に住んでいる男。
本当は気が弱いくせに、敵チームと相対しなければならない、負ければ非難を浴びるピッチャーをやっていた男。誹謗中傷を浴びたのなら、跳ね返せばいい、覆すだけの事をすればいい。出来るはずなのに、負けたまま姿を消した男。
こうだからこう、と言う理にかなった事を一つもしないまま逃げた男。
きっと一つも彼の事を理解出来ないまま、今頃そんな人物の事は忘れていたに違いない。
現実に兄である男の事も、もちろん理解出来た訳ではない。理解出来ない事を理解できない事として受け入れていただけだ。家族だったから。
運送会社に就職したと言った。トラックの運転でもするのだろうか。運動神経のいい人間は、車の運転も上手いと言う。だとしたら、だからその職を選んだのだろうか・・・・・そんな想像だけが、兄の行動に有望が付けてやる事の出来る唯一の説明だった。
やはり田島に聞いても何のヒントにもならないだろう。彼だったら、大切な試合で自分のせいで負けても、絶対に自分の力で立ち直り失敗を覆す成功を収めるだろう。どうしようもない、などと言わず、兄と違って。
お前には分からないよ。
確かにそうね、お兄ちゃん。
でも、私のお兄ちゃん。
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