★ノアの切り札 (2/12) (Act.1 白き終幕)
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「そう言えば、タチバナさん。シャトルの船室、お祖父ちゃんと一緒でいい? 僕達の部屋が機材の関係で3人しか寝られなくて。そうしたらお祖父ちゃんが、ぜひタチバナさんと一緒の部屋でって言ってたよ」
「そうか。ありがとう。私もチーフ・カミジョウと相部屋なら有り難い」
「うちの船室がちょうどその部屋の隣なのよ。なんか嬉しいな。とにかく、ハジメさんがシップに乗ってれば、絶対にオペレーションもうまく行くわ」
ハジメが怪訝そうな顔をする。
「なんで? 私はアルファについては何もできないよ」
「いいの。ハジメさんが居ればうまくいくんだもん」
レイナは根拠のない言葉を、これ以上の確信は無いというくらいきっぱりと言ってのける。ハジメは不思議そうな顔で目をぱちぱちし、ヒカルが苦笑した。
「ほら。タチバナさんって、今までもずっと、危険で厳しい環境にふらっと出かけて調査したりサンプルを取ってきてくれたりしていたでしょう?」
「‥‥まあ‥‥。私の身体は、少し、変わってるからな‥‥‥‥」
「そうかもしれないけど。でも、貴方が一緒だと、幸運の神様が傍にいるような気になるんですよ。そう思ってる人、僕らだけじゃない」
ハジメが驚いた顔をする。口元が嬉しさと自嘲を行き来して少し歪んだ。
「ハジメさんが最後まで付き合ってくれることになって、月に一緒に住むことになって、あたし達すごく嬉しいの。ちゃんと式にも来てね。絶対よ」
ヒカルとレイナの無邪気な瞳に見つめられて、男は一瞬、目を見開いたが、すぐに笑ってみせた。
「‥‥ありがとう。呼んでもらえて嬉しいよ」
若い恋人達は顔を見合わせて幸せそうに笑い合う。
ヒカルとレイナのウェディングの話題は、アルファの遂行者達の中では"救い"に近かった。晴れてその日が来ることは、すなわちオペレーションの成功を意味するからだ。若い2人もまた、そのセレモニーが自分たちのためだけでは無いことを知っている。古き良き時代を知る者にとっては満足の行く準備など出来ないに違いない。だがこの世代の若者達は生まれた時からそんな時代に生きていた。
ハジメは思い出したように床に置いたケースを取り上げた。
「チーフは部屋にいる?」
「うん。いると思うよ。それ、なんなの?」
「土だ。神埜山の麓でとってきた」
「あのあたり、もうそんな場所無いでしょ?」
「洞窟を見つけたんだよ。入り口で苦労したけど、なんとかね」
ヒカルは呆れたように溜息をついた。
===***===
ハジメはCEOルームでソファに沈み込み、飾り棚の立体映像をぼうっと見ていた。保温されたコロイド・クッションが彼の身体を優しく受け止めている。
映し出されているのは、初めて民生用に作られたリーブトロン・エンジンだ。21世紀に発明されたリーブトロン。それをを改良して窒素を原料にする完全無公害の小型エンジンに仕上げたのはBOARDだった。その上その技術を驚くような低価格でメーカーに供給して社会を驚かせた。BOARDがそれを率いる橘朔也の名と共に人々に知れ渡ることになったのは、このエンジンがきっかけだった。
(橘らしかったな‥‥)
ゆっくりと回転するエンジンの映像を見ながらハジメは寂しげに微笑んだ。
研究所の幹部たちが橘の写真を施設内に飾ろうと言い出した時、橘は頑としてそれを受け入れず、代わりにエンジンの模型を飾るように言ったのだった。BOARDは常に人々のためにあることを忘れないように、と。その後、模型は立体映像に置き換えられたが、橘の思いは長い年月を越えて生き続けている。
300年以上も前の出来事。
ハジメがまだ「相川 始」と名乗っていた頃のことだ。
BOARDの創始者であり理事長だった天王寺博史の名は既に消え去っている。天王寺が引き起こした"人工的バトルファイト"のことも。どこから出現したのかもわからない謎の怪物達が人々を襲い、"仮面ライダー"と呼ばれる者達がそれを倒したという話も、人々の口端に上ったのは事件後30年ぐらいの間だった。
アンデッドとライダーの闘いを出版したいという白井虎太郎の夢は叶わなかった。もちろん意欲は燃やしていたが、栞の涙は決定的だったようだ。白井自身も心の中では判っていたのだ。「真実を知る権利」は確かに独裁指向の人間を抑止する要素がある。だが余分な知識によって犯罪を起こす人間も多い。哀しいかなそれは300年前を経た今でも同じだ。
ライダーシステムが悪事に利用されることがあってはならない。それはあの事件にかかわった全ての人間の願いだ。
そうだ。
剣崎一真の名にかけて。
口に出す必要などないほどに、皆の心にその名があった。
「お待たせしました。タチバナさん」
穏やかな声に振り返る。入ってきたのはBOARD最高責任者のシンゴ・カミジョウ。白銀の髪に濃紺の詰め襟の長衣がよく似合う。老人は見かけでは半分以下の年齢に見えるハジメに丁寧な一礼をした。
「ああ、シンゴ。どうだった?」
ハジメはシンゴに歩み寄るとひじ掛け椅子まで導いてやる。老人は恐縮しながら、ほどよく暖まっているクッションに身を沈めた。
「やはりバクテリアや菌類は活動が低下しているだけです。土の中には有機物も十分含まれている。光さえ届けば、地球は蘇ります」
「そうか。良かった‥‥」
「あとはアルファ次第です。厚い氷は放射能の防護壁の役割を果たすでしょう。もしかすると私も、生きてもう一度、地球の大地が踏めるかもしれない」
「そうだね、シンゴ。君の努力の成果だ。よくやってきたと思うよ、ずっと‥‥」
シンゴ・カミジョウはまるで子供の頃に戻ったような恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。その笑みに、ハジメはまた大切な友のことを思い出す。
上条睦月。シンゴやヒカルの祖先だ。
純粋な人間でありながらアンデッドの声を聞き、その思いと同化し、はたまたアンデッドの心を開き、彼らに慈しまれた少年。まさに己の内に光と闇を諸共に抱え込み、生き抜いた‥‥
橘はあの生真面目な性格のまま、己の命を削るように仕事に打ち込み、60歳の声を聞く前に過労で逝ってしまった。そんな橘を最後まで支え、その後の道筋を繋げたのは8歳下の睦月だった。17歳までで感情の隅から隅まで経験するハメになった睦月は、真に懐の深い男に成長した。そして今や上条の家系の中の、選ばれた者だけがバトルファイトの真相を語り継いでいる。
「タチバナさん、どうしました?」
「いや‥‥。ヒカルが、その‥‥。会うたびに似てくるなと思って‥‥‥」
「ムツキ・カミジョウにですか? なんどかスティルを見ただけなのでよくわかりませんが」
「性格はそうでもないけど、目のあたりがとてもね。ヒカルとレイナには幸せになって欲しいよ」
「はい。私もそう思います」
「‥‥あの‥‥シンゴ‥‥」
「はい?」
ハジメは少し言いよどみ、意を決して老人の顔を見つめた。
「私は、シャトルに乗らないよ」
シンゴが息を呑む。ハジメは構わず続けた。
「乗れないんだ。あいつを置いて行けない」
シンゴが嗄れた声で言った。
「‥‥もう一人の‥‥ジョーカー‥‥」
「ああ」
「‥‥‥‥貴方が、そう言い出すのではないかと思っていました‥‥。でも‥‥」
シンゴが悲痛な眼差しでハジメを見た。
「その方も、ムーンベースにお連れするわけにはいかないんですか?」
ハジメは黙って首を振った。シンゴが言葉を重ねる。
「でもあと一週間あります。何か方法を‥‥‥‥」
ハジメが泣き笑いのような表情を浮かべた。
「‥‥シンゴ。ありがとう。ヒカルやレイナも‥‥。でも、わかって欲しい。君たちのそういう想いを、その優しさを、受けるべきはあいつだった。俺があいつから全てを奪った。‥‥‥‥あいつは‥‥‥‥」
ハジメは立ち上がり、シンゴをまっすぐに見おろした。
「時が来たんだ。やっと‥‥」
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