★ノアの切り札 (5/12)
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エアカーを降りたところで手首の装置が赤い光を放っているのに気づいた。橘と栞が作ってくれた小型アンデッドサーチャー。この姿になっている自分には反応しない。ジョーカーとの距離が400Km以下になるとこうして教えてくれる。お互い苦しまずに済む距離だ。
相川始はそれをはずしてエアカーの中に放り込んだ。もう思い出の役にしか立たない。この体全体の軋むような感覚がすべてを教えてくれる。
すぐ先にいる。生涯の友であり、生涯の宿敵であるものが。
手足の力を抜くと荒い息をつく。体中が熱い。
‥‥懐かしい‥‥。‥‥この、懐かしい感覚。
全身が弾け飛びそうだ。ぞくそくする‥‥。
きっと信じられないほど早く動くぞ。最高だ。最高の‥‥‥‥
胸を押さえ込むと目を閉じた。
おちつけ。俺が囚われてどうする。
始は長く息を吐くと、顔を上げた。
「剣崎‥‥」
――Act.3 巡り遭う日――
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ヒカル。
急にごめん。とても大切な理由があって、私は地球に残らなければならない。
どうか探さないで欲しい。
いろいろとありがとう。君とレイナに会えてよかった。
君とレイナは私の大切な人達にとても似ていた。
いつもお互いを信じることのできる二人でいて欲しい。どうか幸せに。
そしてシンゴに、君の家族にも、心から感謝してると伝えてください。
アルファが成功することを祈っています。
本当にありがとう。
ハジメ・タチバナ
P.S.一緒に入れたのはオールドパンジーの種だ。レイナお母さんのお母さん‥‥。
私の友達がとても愛していた花なんだ。
もし君たちの生きる星でこれが咲いてくれたら嬉しい。
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TPC日本支部の廊下を一人の少年が走っていく。途中で二人の職員にぶつかりそうになって睨まれたが、ヒカル・カミジョウは気づきもしない。
ゲートの手前で入ってきた紺色の長衣の老人とぶつかった。
「ヒカル!?」
「お、お祖父ちゃん! た、大変だよ! タチバナさんが!」
ヒカルは握り締めていた封筒を祖父に押しつけ、建物の外に飛び出していこうとした。その手を老人の右手が掴んだ。
「待ちなさい」
「すぐ探しに行かなきゃ、シャトルに間に合わない!」
「いいんだ。あの方の好きにさせて‥‥」
「何言ってんだよ、お祖父ちゃん!!」
ヒカルは捕まれた手を振り払うと祖父に向き直った。
「今度のシャトルが最後なんだよ!! 地球に残るって、どういう意味か‥‥」
「それしか無いんだよ、ヒカル!」
日頃穏和な祖父の大声に少年は驚いて固まった。見上げた祖父の目に涙が浮かんでいる。ヒカルの瞳がまん丸になった。
今この世界でアンデッドとバトルファイトの存在を知るただ一人の人間は、悲しげな顔で孫を見やった。
「ヒカル‥‥。本当のことを話す時が来たようだ。おいで‥‥」
===***===
起伏を一つ越えると、そこに誰よりも会いたくて、会えなかった友が居た。
真っ白い氷の中に立つ巨大な昆虫のようなその姿。するどい棘の生えた甲殻。右肘のあたりから伸びている弁。刃を逆手にした左手を広げ、低く身構えて‥‥。
これが本当に剣崎なのか‥‥。
始はごくりと唾を飲み込んだ。友がジョーカーになっていることを頭で理解していても、目の当たりにすると‥‥。
これは恐怖か‥‥。己の罪への‥‥。
相川始は震える声で言った。
「‥‥剣崎‥‥。俺だ。‥‥始だ‥‥」
ジョーカーが滑らかな動きで左手の刃を順手に持ち替え、切っ先をまっすぐにこちらに向けた。オリジナルとは違う素直な形の剣。その構え方はかつて剣崎一真がカテゴリーAと融合して"ブレイド"となっていた時のそれによく似ていた。
だが、そこから発せられる威圧感は"ブレイド"とは似ても似つかない。こちらを喰らい尽くそうとするピュアなまでの殺気だ。同時に明らかな怯えがその全身に宿っている。殺し合うべき宿命を背負いながら、決して相手を殺してはならない。それを覚えている。
長い年月、たった一人この姿で、我が身を引き裂くような衝動と戦い続けてきたのか‥‥。
「終わりにしよう、剣崎。俺達の彷徨を‥‥」
尖った顎が微かに左右に触れた。脚が少しだけ後じさった。
その恐れが俺には判る。今度刃を交えたら、止められないかもしれない。
それでも全身は荒く息づき、集中と高揚に張りつめている。
その渇望が俺には判る。飢え乾いたものが糧を欲すると同じだ‥‥。
「剣崎。この寒さで地球には人も動物も住めなくなった。もうすぐ最後の人類が宇宙に飛び立つ。俺達だけだ。もうこの星には誰もいない。お前は護りきったんだ。だからもう終わりにしよう」
始はすっと顎を引き、目を閉じて本能の声を聞いた。一瞬の不快感を経て懐かしい感覚が蘇った。体中の全ての部位、甲殻の小さなトゲの感覚まで余さず脳で統合される。甘美と言っていい開放感が全身を満たした。
相川始――オリジナル・ジョーカー。剣崎のボディより幾分明るいグリーンに艶やかな黒の甲殻を纏って、350年ぶりに本来の姿に戻った。両手を広げ、羽を広げた白鳥のように優美に身を沈める。
対する剣崎一真――クリエイティッド・ジョーカーから戦慄きが消えた。その身体は相手よりやや大柄で、敏捷さより力強さを感じさせる。左手で掴んだ剣の切っ先を相手に向けたまま、その柄に右手を添えた。肩の洞角が敵に向かって前傾する。
もう人語を発することはできない。だから思念だけをぶつけた。
<コイ。勝チ残ルノハ、オレダ>
どちらからその心の声が発せられたかは、もうわからなかった。
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