★ノアの切り札 (6/12) (Act.3 巡り遭う日)
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ヒカルは手紙と花の種の入った封筒をもう一度確認すると、ロッカーに最後のバッグを入れた。本当ならハジメが使うはずだったロッカーだ。萎んだエアパッキングの位置を確認して扉をロックする。スイッチを入れれば内部で自動的にパッキングが膨らんで荷物は固定されるのだ。祖父はもう進行方向に向いて固定したシートに座っていて、ヒカルもその斜め後ろのシートに腰掛けた。
<発進20分前です>
アナウンスが流れた。

「タチバナさん‥‥」
ヒカルが呟いた。

いくら脳天気なヒカルだとて、ハジメ・タチバナが普通の人間ではないことは知っていた。祖父が若い頃のムービーから歳を取ってない。先輩達の噂も聞いている。だが彼を不気味に思っている人もいるが、彼に好感を持っている人だって沢山居る。だいたい人類は既に2種類の地球外生命体と交流しているんだから、アンデッドやらがなんだって言うんだ。

もっと早く知っていたら、もっと色々‥‥。

「お前は辛いかもしれないが、タチバナさんにとってはこれが一番良かったんだよ」
シンゴが前を向いたままぽつりと言った。
「そうなのかな‥‥」
ヒカルの声には納得しかねる響きがある。シンゴは半身を捻って孫の顔を見やった。

「あの人はお友達に詫びたいとそれだけを思っていた。だけど会えば必ず戦うことになり、結局は地球上の生命を滅ぼしてしまうことになる」
「そんなこと‥‥」
在るはず無いよ、という言葉をヒカルは呑み込んだ。だが祖父にはそれが聞こえていたようだった。

「あの人も、そのお友達も、私達の祖先も、BOARDの創始者のサクヤ・タチバナも、その瞬間が来る寸前まで、心のどこかでそう思っていたのだそうだ。世の中が滅びるなんてそんなはずはない。きっとなんとかなるはずだって‥‥。だけどその時に起ったのは恐ろしい出来事だった。お友達は全てを背負って去って行き、残った3人には深い後悔と哀しみが残り、あの人はそれを抱えて生き続けて来た。だからあの人はもう誰も巻き込みたくなくて、ずっと一人で色々なことをやってきた。私や私の父も祖父も、本当の意味で彼の力になってあげられてないんだ‥‥」

シンゴはもうヒカルの顔を見ていなかった。壁の一点を見つめてとうとうと語る祖父に、ヒカルは初めて、いつも落ち着いていてなんでも知っている尊敬する科学者のシンゴ・カミジョウでなく、自分と同じように悩んで生きてきた人の姿を見た。

お祖父ちゃんも僕以上に悔しかったんだ。でもタチバナさんの気持ちを大事にしてあげたかった。僕たちの気持ちを伝えても、タチバナさんは困るだけで‥‥。

「‥‥わかったよ、お祖父ちゃん。‥‥タチバナさんは残った方が幸せなんだね‥‥」
ヒカルの言葉にシンゴがこっくりと頷いた。
「この氷の世界が、タチバナさんとお友達の‥‥いや、あの4人の哀しみの終わる場所になるんだ」

===***===

幅広の剣がオリジナル・ジョーカーの胸部めがけて走った。少しだけ身を引くが、オリジナルの右腕も既に舞うようにクリエイティッド・ジョーカーの頭部に向かって伸びていた。相手の尖った顎がくいと上がって、こちらの拳を紙一重で交わす。思うつぼだ。逆手に握りしめている刃を少しだけ起こして振り抜けば、それが敵の喉元を強く薙ぐ。だが次の瞬間、やり過ごしたと思った相手の剣がこちらの腹部にめり込んできた。

すぐに態勢を立て直すが、鎌形のエネルギー波が飛んできて胸部で炸裂した。オリジナルは不覚にも仰向けに倒れ込む。閃光の残像が消えた視界に、上空から飛び込んでくる相手の姿が映った。右肩の洞角を梃子に氷上を半回転して跳ね起きる。高く飛び上がると相手の肩に踵の蹴爪を思い切り叩き込んだ。白い空間に叩き落とされた二体は白のリングを転げ、すぐに跳ね起きる。

いったいどれだけこうしているのか。地に倒れ伏すたびに雪と氷を鮮やかな緑の血で汚しては、また立ち上がる。相手の尖った爪先がぴくりと動けば、それが次のラウンド。技の類似点と相違点が二つの異形を戸惑わせる。アンデッドの中でもずば抜けているジョーカーの生命力が闘いを延々と長引かせていた。

身体の全ての機能が、細胞の一つ一つが、相手を倒すためだけに集中する。嬉しいという感情に割く余裕すら無い。完全な統合。完全な連携。動きが見えるだけではない。ずっと先まで読める感覚。


たてつづけに緑の光が飛んでくる。オリジナル・ジョーカーもまた同種のエネルギーで自らの刃を包んだ。だが彼はそれを放たない。珍しく順手に持った刃で、飛来するエネルギーを弾き、あるいはからりと巻き付けるように受け止めては投げ返す。そのまま敵に向かって鬼神さながらに突進していく。クリエイティッド・ジョーカーが思わず数歩後じさった。

その時だった。オリジナル・ジョーカーが立ち止まった。

(タチバナさん‥‥)

頭の中に響いた声を求めて周囲を見回す。聴器官に下がる重力関知のためのチェーン器がゆらりと揺れた。

<‥‥ヒ‥‥カル‥‥‥?>

あろうことか。闘いの最中に在りながら空を仰いだ。
辛うじて青いと言える空。一直線に伸びていく軌跡‥‥‥‥。

(‥‥タチバナさん‥‥)

<‥‥ヒカル‥‥。ヒカル、シンゴ、レイナ‥‥>

日本を飛び立った最後のシャトル。ちょうどこの大陸から見える軌道をとる予定だった。オリジナル・ジョーカーの脳裏に本能に押しやられていた映像が浮かび上がる。

<みんな‥‥。橘‥‥。睦月‥‥剣‥‥>


いきなり幾重にも絡み合ったエネルギー波が、オリジナル・ジョーカーのボディに飛び込んだ。吹き飛ばされて枯れ木にぶち当たる。顔を上げた時はもう、振り下ろされた大剣を避けるには遅すぎた。

<‥‥‥‥!>


オリジナル・ジョーカーは二千の瞳で頭上でぴたりと止まった刃を見つめた。切っ先がぶるぶると震えている。
雪の反射が相手の顔面を覆う半透明の甲殻の中を照らしている。表情という不要な要素が無いただセンサーの集まりであるその頭部。人間が見れば悪鬼かもしれないが、これが己の顔であり、友の顔だった。

<‥‥剣崎‥‥>

心の中で呼びかけると、頭上の刃が消えた。自分の手の中のそれも。

相手の目を見つめたままそっとカードを出すと自分の腹部にスラッシュさせる。人の姿に戻った相川始は、もう一枚のカードを差し出し、震える声で言った。
「これを‥‥」
マークもカテゴリーもないSPIRITのカード。そこには始の持つカードと同じ、端正な人間の横顔が描かれている。

緑の指がそのカードを掴む。クリエイティッド・ジョーカーはゆっくりとそのカードを自分のラウザーに滑らせた。

異形の輪郭がぼやける。時が止まったかと思うほど長く感じられた。石を投げ込んだ水面が静まって、映り込んだ風景が明瞭になる時のように、そこに一人の男が現れた。男は不思議なものでも見るように、自分の掌を、身体を見回している。

「‥‥剣崎‥‥」
始が絞り出すような声で、男の名を呼んだ。

剣崎一真はしばらく呆けたような表情で相川始を見つめていたが、その顔にどこか子供っぽい笑みが浮かんだ。

「‥‥はじめ‥‥。おまえ、泣けるんだな‥‥」

発音もまた、子供のようにぎこちなかった。意味を理解した始が、少し驚いて、自分の目に手をやった。指先についた雫がすぐにぱりぱりと氷になった。

それはこの存在が、生まれて初めて流した涙だった。


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