★ノアの切り札 (7/12)(Act.4 ノアの切り札)
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相川始は剣崎一真をコートで包み込むようにしてエアカーに戻ってきた。助手席側に剣崎を乗せると操縦席から乗り込む。イグニッション・センサーに掌を合わせてからパスコードを打ち込んだ。
「すぐ暖まるから」
「‥‥ああ‥‥。まいったな‥‥。死にそうに寒いや‥‥」
ヒューマン・アンデッドの耐寒能力はジョーカーのそれよりかなり劣るから仕方がない。だが寒くて死ぬことなぞアンデッドにはできない。始は思わず苦笑した。
「こんなことで、死んだりするか」
「‥‥そりゃ、そうだけど‥‥。始、お前よく平気‥‥‥‥」

始を見やった剣崎がふと怪訝そうな顔になり、始の胸元に向かって手を延ばした。気づいた始が慌てて切り裂かれたシャツから見えていた肌を隠した。褐色のごつごつと変質した体組織。ひどい火傷の痕のようにも見えた。
「どうしたんだ、それは?」
「いや、ちょっと、事故に遭っただけだ」
「事故? アンデッドのお前がそんな怪我を‥‥?」
「もう古い傷痕だ。気にするな。そんなことより‥‥」

始はシートを後ろにスライドさせると保温ケースの中から小さな花の鉢を取り出した。温室から選んで持ってきたオールドパンジー。それをそっと剣崎の前に差し出す。剣崎は目を見開き、震える両手でその鉢を受け取った。
「‥‥花、だ‥‥」
「森もみんな枯れてしまって、だからせめて‥‥‥」
「‥‥懐かしい‥‥。もう永久に見られないと思ってた‥‥」
肩からコートが滑り落ちたのにも気付かず、剣崎はじっと小さな鉢花に見入った。

ジョーカーの複眼は人とは全く異なる風景を映し出す。初めてヒューマン・アンデッドの姿を借りた時、相川始もまた動体認識力の極端な低下に心許なさを覚えつつも、目から飛び込んでくる映像にどうしようもなく惹かれたのをよく覚えている。木々の緑、空や水の青‥‥。ジョーカーから人の姿に戻ろうと必死であがいた時に、自分がどれだけそれらを欲していたかを知った。

「きれいだな‥‥やっぱり‥‥」
「‥‥ああ‥‥」
剣崎はおっかなびっくりした手つきでパンジーの葉を撫でながら小さく呟く。
「あの身体が老いるにつれて人の姿になるのが難しくなった。それでも緑の風景が見たくて、時々少しだけ戻ったりしたっけ。でも、身体の中からあれが急に居なくなって、それから‥‥」

始にはもう相づちすら打てない。
剣崎と小さな花を囲むこの空気を乱してはならないと、ただ息を殺して見つめるばかり。

この友は、何に恥ずることなく人として幸せになって良かった。それを‥‥。


ふと剣崎が花の鉢から目を上げた。計器に自分の顔が映っていることに気付いたらしい。不思議そうに首をかしげて、自分の頬や顎に触れている。鉢を片手に持ち替えると、さっき渡されたラウズカードを取り出した。白い石像のような人間の横顔が描かれたSPIRITのカード。マークもカテゴリーも無い。

「このカードは?」
「俺の‥‥ヒューマン・アンデッドのカードの複製だ。お前の遺伝子情報を組み込んだ。
 もっと早く作りたかったが、いろいろと難しくて、こんなに遅く‥‥」
始の手の中のカードはハートの2。ただそこに刻印された人の姿は剣崎のそれと少し違っていた。胴部が褐色の鎖帷子を纏ったようにざらざらと赤い。

同時に2体は存在出来ない生命の鋳型アンデッド。そのために相川始は己のカードに改変を加えた。相川始の胴部から脚部を覆う褐色の硬化した皮膚もその結果だ。厳密に言えば始のカードに封印されているのは"人間"ではなくなっている。だがそんなことはもうどうでもいいことだ。

始は自分のカードを両手に挟み、剣崎を見やった。
「‥‥本当はもっと‥‥、もっと早く、このカードをお前に渡して俺が消えるべきだった‥‥。お前に会ったら何が起こるか、怖かった‥‥。お前を‥‥。お前だけを、こんな‥‥‥‥」

剣崎は身を震わせて深く俯いてしまった始を目を丸くして見つめた。しばらくして、そっと言った。
「始、お前、幸せだったか?」
「‥‥え‥‥?」
始が驚いて顔を上げる。剣崎がもう一度言った。
「人間の中で、人間として、幸せに生きてきたのか?」

始が目を閉じた。瞼の裏に天音や遥香、橘、睦月、望美、白井や栞の顔が浮かんだ。そしてその子孫達、シンゴやヒカル、レイナ‥‥。

ゆっくりと目を開いた。剣崎をまっすぐに見つめ、はっきりと言った。
「ああ。幸せだった」

剣崎がふわりと笑った。
「あの石が出てこない限り、お前は無事だとわかった。それだけがオレの支えだった。オレの選んだ道に間違いはなかった。始。オレは今、とても満足だ」


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