彼はこの世に生まれたときからあらゆることを知っていた。
彼は生まれたときからひとりで歩き、ひとりで生き、ひとりで戦うことを知っていた。
彼はうまれたときから鋼鉄のからだを持ち、うまれたときから自分の体温を、ひとの体温を知らなかった。

-- ice warm -- 


「?どうした?」
「いや……。」

目の前にいる女性はピアノを弾くその手を止めて、その凛々しい瞳でロボットである自分を不思議そうに見る。
気が付くと聞きほれていたのか、彼女を見つめていたのかよくわからないが、奏でる音にも彼女にも自分の五感で
あるセンサーが奪われていたのだろう。
美しい音、美しい顔、鍵盤を叩く爪の音まできれいに聞こえた。

豊かな黒い髪と雪のように白い肌、血のように紅い唇…とは、どこかの御伽噺に出てきた姫君の説明だ。
目の前にいる彼女は姫君みたいに守られることはなく、裾を引きずらせるドレスを着ることもなく、
花のように優しく微笑むこともなく、ただただ汚れた罪ばかり犯してゆくが。

彼女を抱きかかえたとき、戦いのさなか、ふとしたことですっとふれあうその肌の感触にどきりとするのは、
正直自分の予想外だった。
彼は生身の体に焦がれているわけでもなく、鋼鉄の体に悲壮感を持っているわけではない。
ヒトの体には体温があり、それが自分にはないことも、これから先永遠に与えられるものでもなければ、
誰かから奪って自分のものにできるものでもない…ということもわかっていた。



それならばどうして彼女の温もりにだけはこれほど執着していたのか。



***:***:***:***:***




「……………ありがとう……。」

目の前にいる女性は穏やかな笑顔で自分をみつめる。
今までに見せたことのない優しい笑顔。
力なく唇からこぼれる言葉は凛々しさのかけらもなく、ただただ儚げな優しさといとおしさだけに包まれてた。

過去の自分を取り戻した時、その間に犯した罪の重さに耐え切れなくて、彼女は花のように散ってゆく。
愛してる、愛してた、愛されてた男の前から連れ去ったのは彼女の願いを聞き入れたから。
それだけの話。
これ以上罪と恋人の間で苦しむ彼女は見たくなかった。

せめて花は安らかに、ゆっくりと、静かに散ってもらいたい。


皮肉にも見守るのは自分が一番良い役目だろう。
狂気とも呼べる執着で彼女をすべて奪おうとした男よりも、
その愛が純粋で一途が故に、今はまるで鋭いナイフのように彼女を壊してしまう男よりも。

まだ頬と呼べる部位に雫が残っている。
自分の目からこぼれた雫は彼女から与えられた温もりなのか、それとも何だったのだろう。
きらきら消えた彼女はその答えを出してはくれない。



***:***:***:***:***




静かに全機能が停止していくのがわかる。
生身の体でも、機械のカラダでも、自分が死ぬというのを理解できる感覚というのは嫌なものかもしれない。
ことに機械のカラダは嫌になるくらい、自分の体がどうなっているのかわかる。
だが今はどうでもいい。やりのこしたことなどかけらもない。

愛をささげた女性は自分の腕の中で消えさり、目の前の素晴らしい男と戦い倒れ、これ以上この世に未練はない。
鋼鉄の身の上でこの世とあの世、などと思うこと自体が傲慢なのかもしれないのだけれど。


やりのこしたことはかけらもない。
かけらもないはずなのに、
自分の回路を駆け巡る言葉はたったひとりの女性の名前。











誰の言葉だろう。
この世かあの世か世界の果てから聞こえる、甘く優しい声。
きりりとした表情ではなく、見たことのないとびきりの優しい笑顔。

ねえグレイ知ってる?
この世界には、『つめたい』という言葉が、ひとの温かさを表現する国があるのよ。
そこは暑い国で、冷たさが心地よさを表すの。


貴方はとっても…………




---おしまい----
2005/2/19  (戻る)
background by Little Eden
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ラバさんが日記で公開されたグレイのお話をアップさせて頂きました。
鋼鉄の躯に宿る戸惑いだらけの思慕と慈愛の心‥‥。 ラバさんの十八番とも言えるモチーフです。
どうぞジェットマンのそれぞれの名シーンを思い浮かべながらお読み下さい。
暑い国では「冷たい」という単語が心の暖かさを意味するのは本当のことだそうです。
グレイの魂とマリアの魂がそんな国でいつか出会えることを祈って。