運命の誘《い (戻る)
若者が舞っている。いや、舞ではない。あれは……武術だ。敵を倒すための動きだ。だが、美しい。深緑よりも鮮やかな翡翠の肌。逞しく鍛え抜かれた、だがすらりとした印象を与える長身。揃えられた指先が白刃よりも鋭く空気を切り裂き、弾ける脚が鞭よりもしなやかな弧を描く時、対峙する相手は己の首が胴から離れた事にすら気づかないだろう。
彼は動きを止めると大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。もし空気の動きを見る事ができるのなら、その全身を陽炎のように揺らめきながら包み込んでいる
様《が見て取れるかもしれない。
若者の名はネイル。最長老の側近を勤める、ナメック星最強の戦士。
ネイルは、最長老の前に進み出ると恭しく跪いた。
「最長老様。お呼びでしょうか」
「ネイル、もうすぐ長老達がここへやって来る」
「は、何かあったのでしょうか」
「いや、わたしが呼んだのだ。卵を産むために」
最長老の言葉に、彼はほんの一瞬表情を変えた。ややためらいながら口を開く。
「恐れながら申し上げます。最長老様は、かなりのご高齢。卵を生むのは、もうお止めになった方が……」
「あと二人。どうしても産んでおかなければならない予感がする。おまえを産んだ時も、このような感じがした。これが何を意味するのか分からないが、ナメック星の未来に関わるような気がしてならない」
「は……」
「今日は一人、数年したら二人目を産む。準備をしてくれ」
「かしこまりました」
ネイルは一礼して最長老の前から下がると、水がめを持って産湯に使うための涌き水を汲みに出かけた。産湯といっても湯は沸かさない。ナメック人の命の源である清水で、身を清めるのだ。最長老が卵を生む時には、各村の長老達が集まる。そこで生まれた子を育てる長老が選ばれ、卵から孵った子はその長老の手で産湯をつかわせる。また、子供の名もその長老がつける。
ネイルもそのようにして名づけられ、長老の中でも特に信頼の厚いムーリ長老の手によって育てられた。”強き者”の名にふさわしくあれ、という願いとともに。彼が最長老の側近になる事は、生まれた時から決められていたのであった。
戻った時には、すでに家の前に各村の長老達が集まっていた。中の一人が、ネイルを迎えるように近寄って来る。彼は水がめを下ろすと、微笑んで頭を下げた。
「ムーリ長老様。お久しぶりです」
「うむ。元気そうで何よりだ。最長老様はいかがなされておる?」
「はい、お変わりありません」
そう答えながらネイルがほんのわずかに表情を曇らせたのを、ムーリは見逃さなかった。
「ネイル、おまえの心配は良く分かる。わしらも同じじゃ。今も皆でそう話していたところでな。だが、最長老様には最長老様の考えがおありになるのだから、わしらはそれに従えば良い」
「わかりました」
程無くして、最長老の部屋に全員が集まった。最長老は、ゆっくりと皆を見回す。
「皆の者、よく来た。すでに知らせた通り、今から卵を産もうと思う」
一旦、言葉を切ると、最長老は再び皆を見回した。
「不思議に思っている者がほとんどだと思うが、これは必要な事なのだ。そう遠くはない将来に自ずと分かるだろう」
最長老はゆっくりと息を吸い込むと、一旦息を止め、さらにゆっくりと吐き出す。そのまま微動だにしない。やがて椅子の肘掛に乗せていた両手が小刻みに震え、胸部が膨らみ始めた。胸部から喉元へと膨らみが移動し、最長老は椅子から腰を浮かしぎみにする。やがて呻き声とともに開かれた口から、白く硬い殻が見え始めると、人間の頭よりも大きい卵が吐き出された。
唾液にまみれたそれをネイルが受け止め、静かに床に下ろす。全員が見守る中、卵にひびが入る。
「ムーリ、この子はおまえに頼みたい。名を何とする?」
「はい、デンデ……と」
「”尽くす者”か。良い名前だ。よろしく頼むぞ」
「はい、かしこまりました」
殻が割れた。中から幼いナメックの子が姿を現す。その子は、手で目の回りの粘膜を拭うと、キョロキョロと辺りを見回した。ムーリ長老は幼子を抱え上げると、水を入れたタライの中に立たせる。濡らした布で丁寧に全身の粘膜を拭うと、水からあげて乾いた布で水気を拭き取った。そして気合を入れ、その子の身に服を纏わせる。
「さあ、デンデ。最長老さまにご挨拶をなさい」
デンデはペコリと頭を下げると、たどたどしい発音で言葉を操る。
「はじめまして、さいちょうろうさま。ボクをうんでくださって、ありがとうございます」
最長老は頷いてデンデを抱え上げると、膝の上に乗せた。
「デンデ。ムーリの言うことをよく聞いて、立派なナメック星人におなり」
「はい」
そして、ほかの長老にも次々と抱きかかえられ、言葉を交し合う。こうやる事で、彼らはお互いを知り合うのだ。ナメック人は親の記憶を受け継いで生まれるが、全部が全部を受け継ぐという訳ではない。特に重要な事は別として、ごく最近の出来事が大部分を占める。
もちろん各長老の顔や名前は漏れなく受け継がれるが、人と人との直接の触れ合いは記憶以上に重要なことだ。だからこそ、新しい子が生まれる時は長老全員が集まり、全員で喜びを分かち合う。また、生まれた子にとっても自分の誕生が望まれた事であり、受け入れられた事を全身で感じ取るための大切な儀式となる。
最後に、ムーリ長老がデンデを抱きかかえた。穏やかに微笑みながら、ネイルの方を見る。
「ネイルや。この子は、おまえが生まれた時の顔によく似ている」
「は?」
「ほら、そっくりだ」
ムーリ長老は、デンデをネイルの方へと差し出した。ネイルはデンデを抱きかかえる。
「(わたしと似ているのか……?)」
ネイルの顔立ちは彫りが深く、切れ長の涼しげな目にすっと通った鼻筋、やや薄めの唇はいつも強い意志を現すかのように引き締められ、ナメック星一の美形と謳われている。対してデンデは、まだ子供だから当然だが、目も鼻も顎も全体的に丸っこい。
どう見ても、この子と自分が似ているとは思えない。
普段は物静かなネイルが首をかしげ、やや困惑した表情を浮かべるのを見て、長老達は可笑しそうに微笑む。
「もっと成長すれば、似ている事が分かるだろう」
「ネイルは戦闘タイプだから早く育ったが、デンデは龍族だから時間がかかるな」
「ネイルも小さい頃はやんちゃでしたな」
「月日の経つのは早いものですなあ」
長老達の懐かしそうな言葉を耳にしながら、ネイルはもう一度デンデを見つめる。自分が生まれた頃の記憶が、徐々に思い起こされてくる。
「(そういえば……似ている……かな……)」
自然と口元に笑みが浮かぶ。
「よろしく、デンデ」
「よろしくおねがいします、ネイルさん」
運命の子供達は、お互いに笑みを交し合った。
ネイルは各長老がそれぞれの村へ引き上げるのを戸口で見送ると、最長老の部屋へと戻った。窓から、ムーリ長老とデンデが飛ぶ姿が見える。まだ上手くは飛べないデンデを、ムーリ長老は見守りながらゆっくりと飛んでいる。
二人の姿が見えなくなると、背後から自分を呼ぶ声にネイルは振り返った。
「ネイル、デンデを産む前におまえに言った事は、皆には内密にしておきなさい。プレッシャーをかけたくはないし、運命は前もって知るものではない。自らが悟るものだ。それでこそ全力で立ち向かえる」
最長老の言葉にネイルは頷き、再び窓の外に視線を向ける。
──どのような運命であろうと、わたしはわたしの使命を果たすだけだ。あの子も、きっとそうする……──
(終)
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こちらは<ビョウ>の如月美甘さんから、ラバランプさんがキリ番で頂戴した小説です。もうネイルさんの美しさは言わずもがなですが、誕生シーンの荘厳さがすばらしくて‥‥。生まれた子供をみんなが抱いて喜びを分かち合い、子供の方も受け入れられたことを知る‥‥。身体中に愛情と勇気が染み込んでくる、そんな素敵な短編です。
みかんさん、本当にありがとうございました!