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邂 逅
<前編>
(中編)
(後編)
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まさに満開だった。 それはそれは見事だった。 もう強いと言っていいほどの陽射しの中、キャンパス内を縦断するその道に覆い被さるようなソメイヨシノ。ややくすみがちな花色も今日は散乱する光の力を得て鮮やかだ。僅かに芽吹いたうす緑の葉先がむしろいじらしく感じられるほど、細かな枝先までびっしり花で満ちている。それでもときおり南風がその花弁を散らし、その時初めて桜の花はか弱さを取り戻すかのようだった。 見事な花のアーチをたくさんの若者達がくぐり抜けていく。少々ぎこちなさの残るスーツ姿は、今日、正式に西都大学に入学した学生達。式典といくつかの説明会や手続きが終わって、やっと解放されたところだった。 「ふー。今日、暑ぃなぁ!」 道を行く入学生の1人が、マチ付きの分厚い大封筒を鷲づかみに持ち替えて上着を脱いだ。ネクタイを取って白いYシャツだけになってしまうと、まるで高校生に戻ってしまった感じだ。 「でもお花見にはいいお天気よ。とっても綺麗」 隣を歩いていた女子学生も同じく大学のロゴの入った青い封筒を抱えていた。淡いクリーム色のスーツがよく似合う。肩より少しだけ長い髪が艶やかで、色白の整った顔立ちは人目を引いた。 「あ、見ろよ、有望。飲んでる連中がいる!」 男の方が木々の隙間から見えたブルーシートに声を上げた。サークルや研究室の仲間達か。学び舎という穴場で宴を楽しんでいるようだった。 「いいなぁ! 一杯ご馳走になってこようかな」 「まあ、赤星。私達、未成年なのよ」 星加有望は苦笑しながら幼なじみ――赤星竜太をたしなめる。とうとうここまで同じ学校のまま来てしまった。とはいえ赤星の合格はかなりの幸運に後押しされていたようだが。 「ちぇっ。正月と花見ん時はそーゆーこと気にしなくていいんだぜ?」 赤星が口を尖らせてそう反論したところで、ふと眉をひそめて耳を澄ました。 「どうしたの?」 「ケンカっぽい声がする。有望、先、帰ってて。様子見てくる!」 言うが早いが赤星竜太はだっと駈け出した。あっという間に角を曲がり、なびいた紺の上着が有望の視界から消える。有望はふうっと溜息をついた。どうしようかとしばし考えると早足で後を追った。 ===***=== 西都大学の医学部はキャンパスの外れ、北門の近くにある。昔は路面電車の最寄り駅が北門の傍にあり、こちらが正門だった。もともとは単独に存在していた西都医大に他の学部を付加して総合大学にしたのが現在の西都大学であり、事実、医学部だけがずば抜けて偏差値が高いのだった。 医学部棟の出入口から1人の男が出てきた。黒縁の眼鏡をかけた生真面目そうな中年の男だ。青いネームカードを下げているので大学の事務職員と思われる。足早に本部棟の方へ向かおうとしたその男を、駐車した黒い車から出てきた4人の男が取り囲んだ。 「いや、その節はどうも、細田さん」 一番年上の男が話しかける。その後ろにかなり大柄な男。そして20歳前半の若い男が2人。1人は茶髪、もう1人は短髪だ。細田と呼ばれた職員は4人を見て怪訝な表情を浮かべた。 「いや突然に申し訳ない。私ら濱田事務所のもんなんですが」 職員がびくりと硬直した。反射的に向きを変えて校舎に戻ろうとしたが、若い連中がすっと回り込む。 「実は、またご相談がありまして。ちょっと来てもらえないですか?」 「い、いや、私はもう‥‥」 「いやお時間は取らせませんから。貴方にとっても悪い話じゃないんですけどねぇ」 4人ともきちんとした身なりで、ぱっと目には業者と言っても通りそうだ。だが、醸し出される雰囲気はどこか大学には似つかわしくなくて、通りかかった学生が訝しげに横目で見やった。 「お車でお迎えに来ましたんで、どうぞどうぞ」 4人組が身体をつっぱるようにして拒否を示す男の背中を無理矢理に車の方に押しやった時、どこか呑気な声が響いた。 「おやおや。せっかくの桜だってのに‥‥」 5人の驚いてあたりを見回した。声はすれども姿は見えず‥‥。 と、すぐ側の桜の巨木の太い下枝がばさりと大きく揺れ、とんと若い男が一人降り立った。ベージュの三つ揃いの上着を脱ぐと背中のあたりを軽く払う。花に埋もれて枝に寝転がり、特等席で花見と洒落込んでいたらしい。長身に広い肩幅と引き締まった胴部。揃いのベスト姿が気障なほど似合っている。 「なんだてめえは?」 驚きのあまり思わず地が出た。4人組の発する気配が一瞬で違う世界のモノに変る。 「いや、その人が嫌がってるように思えたんで。こいつらんとこに用事がお有りですか?」 木から降りてきた青年は4人に囲まれている職員に穏やかな笑みを投げる。職員は呑まれて素直に首を横に振った。 「ほーら。じゃあダメだ。いい大人がこんなことして‥‥」 「あー!!」 相手の言葉を遮って、茶髪の若いチンピラが大声を上げた。 「てめーは、あん時の‥‥」 「そういや‥‥。よくもジャマしてくれたな!」 短髪の方も思い出したらしい。だが肝心の青年は小首をかしげた。 「えーと。誰でしたっけ?」 「一週間前だ! 公園通りで‥‥」 「あ! やっかいなトコに車を留めて、ちょっと擦ったアベックから大金脅し取ろうとしてた‥‥。カッコが違うんで気付かなかったよ。だとすると今度もロクなもんじゃねえな?」 「なんだと!」 青年が無造作に上着を桜の枝に投げ上げると、ずい、と前に出た。 「今日からここで世話になるんでね。オレの学校で汚いマネは止めてもらおうか」 およそ十八、九の若者とは思えない場慣れた迫力がある。だが、濱田事務所の面々も高校を卒業したばかりの子供に脅されて帰るわけにもいかなかった。 「このガキが!」 「大人の話に口を出すんじゃねえ!」 ===***=== 怒声とぶつかり合う音に慌てて走ってきた星加有望は、何人かの野次馬の中に赤星竜太の見慣れた背中を見つけて驚いた。止めろとか警察はといった声にときおり悲鳴が入り交じり、緊迫した雰囲気。そんな中で幼馴染みは悠然と突っ立って、ただ喧嘩を見ているらしい。背中をどんと叩くと赤星はびっくり眼で振り返ったが、にっと笑うと騒動のほうに顎をしゃくる。有望は赤星の腕を掴んだまま、おそるおそるその場の様子を見つめた。 ベスト姿の男が一番巧みに立ち回っているようには見えるが、4対1はひどすぎると思う。そのうえ4人は大人で、対する1人は自分達と同年代だ。 「ねえ、赤星っ」 有望が赤星の腕をゆさぶるが、赤星はのんびりと応じた。 「すげーだろ。あいつも新入生かなぁ」 「え?」 「ほら、あの木のとこ。あれ、あいつのじゃないかな」 赤星が桜の下枝にちょこんとはまりこんでいる新入生向けの青い大封筒を指差した。 「そんなの観察してる場合!? 早く助けてあげないと‥‥」 「だいじょぶなんじゃねえ?」 「ちょっと、あか‥‥!」 有望が息を飲んだ。大柄な男に突っ込もうとした学生を、チンピラ達が左右からが抑えにかかった。ふり上げた右腕を短髪の男、左腕を茶髪の男が掴む。だが学生は完全に掴まれる寸前で左の茶髪男の肩に裏拳を喰らわした。右の男は腕を掴ませたままぐっと引き寄せる。バランスを崩した相手を思いっきり蹴り上げ、その身体を殴りかかってきた大柄男にぶちあてた。 「な? だいじょぶだろ?」 赤星が有望にそう耳打ちし、有望は呆れたように赤星と学生を見比べた。 仲間を受け止める羽目になった大柄な男はよろけて転びそうになった。その間に学生はさっさと後退して距離を稼ぐ。もがく相手に向かって自分の鼻をぴんとはじくと、へん、と笑ってみせた。 ぐったりした子分を放り出した大柄な男は怒りの形相で突っ込んだ。交わして回り込んだ学生は相手の上着の後襟首を掴むと背中側にぐっと引き下ろした。きちんとボタンをかけた上質のダブルスーツは即席の拘束具と化す。学生が男のボディに強烈なワンツーをぶち込んだ。 「すげ。慣れてんなぁ」 赤星が感心したように呟いた。そう言いながらも既に上着と封筒をまとめて片手に持ち替えている。思ったよりしぶとい大人達だった。学生は相当鍛えていそうだが、年齢故の力の限界はどうしてもあるのだった。 茶髪の男が何か喚きながら右拳を振りかざして突進してきた。まるで当たりに行くように相手の右側に踏み込む。降ってくる拳は左腕で受け流し、右腕を相手の首に絡めた。身体をひねり、外側に踏み込んだ脚を支点に跳ね投げる。背中から舗装面に叩きつけ、鳩尾に一発喰らわしたら、その茶髪男はもう起きあがってこなかった。 「屈めっ」 いきなり聞こえてきた怒鳴り声のままに身を沈める。頭上をうなり声を上げて金属棒が通過した。低い体勢のまま脚を回し、踏み込んできた男の足を払った。4人組のリーダー格の男だ。転倒せずによく持ちこたえた。手に2尺ほどに伸びた特殊警棒を構えている。少し距離をとって対峙した。 と、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。男が舌打ちして「車だ!」と叫んだ。視界の端で捉えていた大柄男が見物人の方に移動したのがわかった。 「待て!」 追いすがろうとしたが、また棒が空気を切る音がする。これが当たったら少々やっかいだ。なんとか逃げ回っているうちに飛び込めた。グリップを押さえて腕を逆に捻りあげる。男が呻いて手を開いた。警棒を奪い取ると少し手加減しながらグリップ部分で相手の腹を突いた。男はくたりと崩れ地面にうずくまった。 最後の一人の後を追おうと向き直り、思わず立ち止まった。白いワイシャツ姿の青年が例の大柄男を肩に担いで歩いてくるところだった。 「ここらに、置いていい?」 警棒が飛んできた時に聞こえてきた声だ。無遠慮に見つめてくる黒い瞳は楽しげな色に輝いている。頷いてみせたらまあまあ丁寧に、肩の荷物をのびている仲間の側に降ろした。 桜の木の元に戻り上着と書類が入った封筒を取った。振り返るとさっきの青年がすぐ後ろについてきていた。 「あんた、すげぇな!」 「別に」 そう。あの警告を聞いた時からきっと分かっていた。ずっとニヤニヤしながら見てるこの妙な男が叫んだのだと。 青年はにこりと笑って手を差し伸べてきた。 「俺、工学部の赤星竜太。今日入学したんだ。あんたは?」 「法学部の黒羽健だ」 差し出された手を握らずに手の甲で少し押し返すようにしながら、それでも自分が素直に名乗ったことを、黒羽健は意外に思っていた。 ===***=== 「お待たせ」 図書館前で佇む星加有望を見つけて、赤星竜太は大股で歩み寄った。1限めが終わったところだった。入学式から数日が過ぎ、新入生もそれなりにキャンパスの生活に慣れ始めている。 「ふー。G棟って、奥まりすぎだって」 走ってきたのか赤星は少々荒い息づかいだ。 「ああ。1限め、学部の授業だったものね」 有望は手にしていた手帳をもう一度見た。赤星と有望の2人の時間割が書いてある。西都大学は90分の授業が午前に2時限、午後に3時限。有望は理学部で赤星は工学部だから時間割もまったく違う。それでも二人の時間割の空き時間がけっこう一致しているのは、赤星が微妙に有望に合わせたからだ。 「工学部の建物長いじゃん。あれ、あっちこっちで講義されたら、移動が間に合わなかったりして」 「確かにこのキャンパスで一番場所取ってるわよね。それで赤星、2限は空いてるでしょ」 「うん。有望もだろ。昼メシ喰いにいこか」 「まだ10時じゃない! ちょっと付き合って。渡辺君と会う約束してるの」 「渡辺‥‥って、ワタチョウか?」 渡辺隆之は1、2年の時、赤星と有望と同じクラスだった。この春、この大学の医学部に入っている。秀才だが気さくで面倒見が良く、2年とも前期は学級委員長をやっていた。西高校も西都大学も"地元"であり、西高から西都大学に行った人間は多いが、流石に医学部だけは誰でもぞろぞろというワケにはいかない。有望はもう歩き始め、赤星は慌ててあとを追う。 「ほら。例の入学式の事件のこと。渡辺君、喧嘩の少し前にあの場所を通っててね。例の事務の人とあの4人が話し込んでるの見たんですって」 「じゃ、やっぱりあの人、関係してたんだ‥‥」 一騒動のあと、やってきた警官が事情を聞こうとした時、大学の職員が進み出て何か話そうとした。それをあの黒羽という学生が遮るようにして、自分が絡まれたんだと申し述べたのだった。 「あのあと、黒羽さんって人には会ったの?」 「いや。法学部のブロックの講義とか何回か行ってみたけど、会えてない。昨日は同じクラスのヤツに聞いてみたんだけど、受講票だけ頼んで休んでるって」 「そうなの‥‥。とにかく渡辺君の話を聞いたら、手がかりがあるかもしれないわ」 「‥‥あのさ、有望‥‥」 「なあに?」 「‥‥どーしてワタチョウが‥‥お前にそーゆーこと話してきたんだ?」 有望はちょっと目を見開いて隣の赤星を見上げた。赤星は明後日の方を向いたままだ。有望は忍び笑いをすると澄まして言った。 「3年間も同じクラスだったもの。彼とはけっこう話が合ったのよ」 「え‥‥。そうなんだ‥‥」 有望は笑いを押し隠したまま教養棟を通り抜け、赤星はわたわたとその後に続いた。 教養棟の中庭の真ん中の花壇ではチューリップの蕾がふくらんでいる。ベンチに座っていた男女の学生のうち、女子学生の方が先に気付いて立ち上がる。 「有望! こっちこっち!」 「槇! ありがとね!」 石原槇子もやはり西高卒。赤星は同じクラスになったことは無いが、有望とよく連んでいたので顔見知りだった。小柄な元気の塊のような少女だ。3年の時に有望と槇子と渡辺は同じクラスだった。 「赤星、お前、早速問題起こしたんだって?」 にやにや笑って手を出した渡辺隆之はスリムなこともあってとても背が高く見える。赤星は渡辺とぽんと手を叩き合わせると苦笑した。 「俺はまだなんもやってないっての。あれ。そーいや石原は薬学だろ? なんで‥‥」 「何言ってんの。有望が色々相談してくるからさ。あたしが隆ちゃんに聞いてあげたんでしょ」 赤星がきょとんと目を丸くして有望を見る。有望は素知らぬ顔をして校舎の屋根を見ていた。 「え? あ、そうだったんだ! おお。サンキューなっ」 「で、お前が聞きたいの、例の喧嘩の時の話なんだろ?」 「うん」 「僕が見た時は、ちょうどあの黒縁眼鏡の職員と例の4人が話してたんだよ。囲まれてるみたいでヘンだなとは思ったんだけど、まさか大学で‥‥。あとから星加の話聞いて、びっくりしたよ」 「つまりアイツが助けに入ってああなったんだ‥‥」 「みたいだね。で、昨日なんだけど、あの眼鏡の事務員と清宮って新入生がちょっと意味深に話してるのたまたま見てね。それもひっかかってるんだ」 槇子がぽんぽんと渡辺の肩を叩いて言った。 「やっだ。隆ちゃん、ミステリーの読み過ぎじゃない? ただの知り合いかもしれないし‥‥」 「そうかもしれないけどさ。でも妙な雰囲気だったんだよ。まあその清宮って、良くない噂があるんで、そのせいかもしれないんだけど」 「良くない噂?」 「同じ高校から来たヤツが言ってたんだ。本当は受かるハズが絶対無かったのにって。そいつ、県の医師会の副会長の息子らしくて、何かやったんじゃないかって言うんだ」 有望が思案顔で呟く。 「その何かに、その職員が絡んでいて、あの4人に強請られるようなことになったとか‥‥?」 「もしかして、4人をやっつけちゃったって学生も、その何かに絡んでるんじゃない?」 槇子がもっと声をひそめる。 「‥‥うーん。違うと思うけどなぁ‥‥」 ぼそりと赤星。槇子が一転詰問口調で赤星に迫る。 「赤星君、なんか証拠でもあるの?」 「いや、証拠って言われても‥‥。でも、アイツ、黒羽っての、悪いヤツには見えなかったぜ。あとその事務の人も‥‥。遮られたから黙っちゃっただけで‥‥‥‥」 「逆に言っちゃマズイこと言いそうになって遮られたのかもしれないじゃない?」 渡辺が苦笑して槇子を抑えた。 「槇子さ。ミステリーの読み過ぎはどっちだよ。まあ、赤星のヤマカンはけっこう当たるんだからさ」 「え、そうなの?」 「そうでなくて、どうやって今ここに居ると思うんだよ」 有望は頷き、槇子は爆笑し、赤星は、うっせーな!と頬を膨らませた。 2005/4/17
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