荒野の月
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かん、と音が響く。少し間おいて、また‥‥。

天井は高く、がらんとした倉庫のような空間。周囲を覆う壁は所々朽ちている。両開きの金属の扉が少しだけ開き、外の光が差し込む。そんな部屋の一番奥で、驚くほど真っ平らな低い石の台に向かって座りこんだ男が、無心に作業を続ける。

台の上には黒い金属の角材が載っていた。長さは男の肩幅ほど。幅は男の掌ほど。厚さは男の親指ほど。石の台は下から炎で炙られて、棒は素手では触れぬ程度に熱せられていた。男の端正な顔に浮いた汗が、時々滴り落ちて、ゆらり、と気化していく。

打ち鍛えて厚みを均さねばならぬ。だが打ち伸ばしてしまってはならない。それが難しい。
男は鉄の左手に持った槌を慎重に上げ、そして下ろす。感触に意識を集中させ、反響に耳を研ぎ澄まし、ただ、ひたすらに。

動きにつれて背中で束ねた男の髪が揺れた。中身が無いまま先端を結んだシャツの右袖も。

この地に男が現れた時、その利き腕は上腕の途中までが辛うじて残っているだけだった。だから棒の端を固定する鋏箸の柄を時に右の大腿部で押さえながら、慣れぬ左手でその微妙な作業に取り組んできた。

とうとう男が身を起こした。脇の台に槌を置いて背筋を伸ばす。凝り固まった筋がきしむ感覚にしばし目を閉じた。ぎいっと扉の開く音がして男は振り返った。こつり、こつりと杖の音を響かせて年老いた男が近づいて来る。
「ずいぶんと根をつめるな、お客人」
「ああ‥‥ご老体。すまぬ」
老人は少し肩を震わせる。声は無いが笑ったようだった。
「おかしな御仁じゃ。何も謝ることはない。どれ、ちょっと‥‥」
そう言って老人は杖を置く。男は立ち上がって老人に場所を譲った。男の背も肩幅も高く、広く、老人が実際よりも小さく見えるほどだった。

老人は鋏箸を抑えて槌を受けとり、男が形成したその金属の全体をなかば撫でるように軽く叩いていった。気になる箇所では耳を近づけ、極めて丁寧に。そうして顔を上げ、云った。
「良いようじゃな。割ってみなされ」
男は叩き上げた塊を鋏箸で持ち上げて水桶につけた。じゅうっという驚くほど大きな音と白い蒸気があがった。それが納まると今度は側面から小さな水の泡が沸いてくる。男は水中で棒の向きや角度を色々と変えて泡の出方をじっと見つめている。泡がすっかり静まったところで棒を取り出し、大きな作業台に側面が上になるようにして載せた。側面が整った層状になっているのがわかる。

男は台の上に覆い被さるように屈み込む。半尺ほどしか残っていない右腕で金属を押さえるためだ。厚みのちょうど半分、さっき泡が多く出ていたあたりにノミの先端を注意深く合わせる。少し呼吸を整えてから息を止め、さくり、と刃を押し込んだ。老人が目を見開く。不自然な体勢でありながら惚れ惚れするような加減と思い切り。ツボを見極める目も確かだ。

金属の角材は厚みをほぼ半分にされ、薄く二枚に分かれた。割れた断面は深い黒橡。まったく磨いていないのに美しく底光りしている。男は左手をごしごしと脚衣にこすりつけると、その断面にゆっくりと指を滑らせた。二つの断面のそれぞれを端から端まで往復してから、ほっと小さく息を吐き、老人の顔を見る。老人が台に近づいて同じように断面を検分すると男の顔を見上げてにこりと微笑んだ。
「もう"陸割り"まではほぼ修得できたようじゃな」
「いや‥‥。ここのマイカニウムは層が揃い易いように感じる。そのせいだろう」

男の生真面目な物言いに老人は満足げに頷いた。
「そこに気づいておるなど、たいしたものじゃて」
老人は慈しむように、マイカニウム棒の割れた面を撫でた。
「お前さんの云う通りじゃ。ここで取れるマイカニウムは純度が高く、重合分子の粒が揃っておる。故に層が揃いやすいし、面の強靱さにも特筆すべきものがある。だが‥‥」
「‥‥逆に、刃を立てるのが難しい‥‥。どうしてもうまくゆかん」
後を取ってそう云うと、男は壁の側に転がった自身の失敗作を見やって溜息をついた。

「そう急くな。"陸割り"の工程とてモノにするにはなかなか大変というに、思わぬ所で気が短い」
「‥‥すまん‥‥」
少ししょげたような男の様子に、老人は息のひっかかるような笑い声をたてた。いつも堅苦しいほどに礼儀正しい男なのだが、時々見せるこういう無垢な素直さが好もしい。

「では寝かせようか?」
老人の言葉に男はこくりと頷くと、先程マイカニウムを打っていた石の台に歩み寄った。台の下に送り込まれている気体燃料の送り出しを少し強める。そして分厚い布を水に浸すと片手で握りしめるように絞った。まだ雫の滴るその布でしゅうしゅうと蒸気を立てながら熱い台の上を拭き清めた。
それから棚を物色して上面がごく浅く傾いた薄くて広い金属板を持ってくると石台の上に載せた。先ほど自分が割ったばかりの二枚のマイカニウム板を、断面を下にして傾斜した板の上に注意深く載せる。二枚の長い板は幅の方向に僅かに上向く形で据えられた。
このまま熱を加えながら数時間置くと、マイカニウムは水平になろうと徐々に形を変え、上側にある辺は薄く尖ってくる。それを再びこの角度のまま叩き上げて"斜割り"を行い、刃を立てる。うまく仕上がれば二振りの剣が生まれるはずだ。

鍛裂造りと云う。

重合を起こす特殊な金属マイカニウムを使った独特の鍛冶技術だ。熱と打撃によって重合分子に多層構造を生じさせ、層に沿って割る。角度を変えて再び層を形成させ、刃を成すように割って仕上げていく。
切れ味が悪くなったら層を削ぎ剥がして刃を立て直す。だから普通の刃物のような研ぎ跡が出ない。何かから割り取っただけのような変わった見かけになる。だが切れ味は鍛造モノに決して引けを取らない。特に削ぎたての鍛裂造りは剃刀のようだと云われる。

鍛裂作りの最大の特徴は、刃や峰だけでなく側面すら武器になるその強靱さにある。丈夫なマイカニウム層が内部で多層構造を成しているからだ。剣士なら誰もが欲しがる一品だが稀少品。素材が高価なだけでなく、打ち上げるには熟練したカンと技術と長時間の行程に耐える体力が必要だ。熟達した職人が叩いたマイカニウムほど層数が多くなり、一枚一枚の層は薄く、均一になる。

このアガーヴェ地方はマイカニウムの名産地だった。散々乱掘されて、今は知る人ぞ知る場所にわずかに残っているきりだ。かつては多くいた職人たちもほとんど居なくなった。
老人も鍛裂造りの名人だったが寄る年波には勝てず、今は小さなナイフを打つのがせいぜいだ。高温で熱した金属を一気に鍛えあげる鍛造と異なり、鍛裂はそう高くない温度のままひたすらに打ち続けなければならない。体力の衰えは致命的だった。

男は作業台の上を拭き上げ、使った道具類を集めると座り込んで、膝で道具を挟むようにして油布で拭いている。不自由な身体でそこまでせんでもと云ったのだが、慣れるためには些細なことからなんでもやりたいと言われ、それも道理かとやらせている。


もう二ヶ月ほど前になるだろうか。

マイカニウム鉱石を取りに出かけ、血まみれで倒れていたこの男を見つけたのは老人だった。獣も追い剥ぎも居ない荒野で何が起こったのやら見当もつかない。背中は何かに食われたかのように大きく爆ぜていたし、右腕は鋭利な刃物で切られたらしい。赤い血が白い大地を染めていた。連れ帰ったが、まず助かるまいと思っていた。

だが一週間生死の境を彷徨った男は、奇跡的に持ち直した。往診に来た医者も唖然とする強靱さだった。ただ困ったのは素性が不明なことだった。うわごとで口にした人名を尋ねてみても分からぬの一点張り。
聞き取れた人名の一つは"アラクネー"。スパイダルの女性の名前としてはごく一般的なものだ。あとはたぶん"ケイン"。小さな男の子を意味する呼びかけ語だ。アラクネーという妻と小さな息子‥‥とも考えられるがどうなのだろう。そして「陛下」という言葉‥‥。
立ち居振る舞いや言葉遣いは男が位の高い人間であることを匂わせる。だが動けるようになった男は何くれと家の中のことを手伝い始め、見かけによらぬ剛力にものを云わせてマイカニウム鉱の掘り出しまでやる始末。そんな様子を見ていると普通の貴族にも思えなかった。

老人が鍛裂の名手と知って男は自分も造りたいと云い出した。経験があると云うのである。実際にやらせてみると確かにずぶの素人ではない。もちろん職人の手つきではないから、鍛裂の剣を実際に扱っていて、もしかすると"削ぎ"ぐらいは自分でやった騎士なのかもしれない。

男は鍛裂にのめり込み、老人もこの変わった生徒に熱心に教え続けた。技を受け継がせたいという程ではない。まるで何かにすがるように鍛裂の剣を打ち続ける男に、鍛裂に一生を捧げてきた人間として何かをしてやりたいと思っただけだった。

黙々と道具の手入れをする男は自分より十五ほど若く見える。だが口数の少ない、ものに動じないその様子を見ると、実はもっと歳をとっているのかもしれない。世の中えらく長寿な人々もいるのだと聞く。それでも今暫くはこの男には頼るものが必要で、それがこの場所にあると云うならそれでいいのだと老人は思っていた。それが、なんでもいいから自らの存在意義を示したいという年寄りのエゴなのかもしれなくても。この男が誰かを必要としているうちは。


仕事に勤しむ男の姿を見やって、どこか満ち足りた空気に浸っていた老人がはっと我に返った。
「いかん! きっとエラが怒っとるぞ! 手入れはあとにして行かんか?」
男はしばしきょとんと瞬きをし、すぐに苦笑すると立ち上がった。今日はエラドゥーラが家に居る日なのを忘れていた。彼女はきっちり決まった時間にランチにするのをモットーにしていて、家に居ながら遅れるとおかんむりなのだった。



打ち場の建物を出て庭とも言えない空き地を横切り母屋に入る。引き戸を開けるといきなりぴしりとした声が降ってきた。
「クエルボ義父さん! ラサ! 一度ぐらいランチ抜きにされたい!?」

大きなダイニングテーブルの向こう。美味しそうに立ち上る湯気を背景に振り向いた大柄な女性が、片手を腰にあてるとそう言い放った。ちょっぴり不満げに引き結んだ唇は紅も引かぬのに艶やかだ。光を弾く真っ黒で大きな瞳。頭頂から左に寄せてきゅっと束ねられた黒い髪には少しの癖も無い。黄檗色のラフなシャツに山鳩色の長いフレアスカート。くすんだ色合いの衣服が日焼けした肌によく似合っていた。クエルボ老は慌てて嫁をなだめに入った。
「しかたないじゃろ、エラ? 一度鍛裂の作業に入ったら手が離せんのじゃから。オルメカもいつもそうだったじゃろ?」

アガーヴェのオルメカ。名匠クエルボの息子にしてその技を受け継いだ鍛裂の若き達人。エラドゥーラの夫になる。3年前、その腕を見込まれて皇帝の名の下になかば強制的に首都クラヴァータに連れて行かれてしまった。同じスパイダル本星といっても、この辺境の地からではクラヴァータは地球の反対側。仕事も忙しいらしく年に一度、数日帰ってくるのみだった。

エラドゥーラはふうっと大げさな溜息をつくとくるりと火元に向き直り、鍋の中身を器に盛り始めた。
「‥‥もう。この家にはあの黒い塊の呪いがかかってるんだわ! 二人ともさっさと手を洗って席について頂戴!」

どうやら食事抜きにはならずに済みそうであった。



「はい。ラサのはこっち」
そういって深皿を男の前に置くエラドゥーラの顔には、さっきの不満げな様子など微塵もない。皆がテーブルについてしまえばそれですっかり満足なのだ。大きなスプーンとフォークが皿の左側に置かれており、ポトフの中の肉は一口大に切ってある。
「ありがとう」
「熱いから気をつけるのよ」
まるで子供に云うようなその調子に、ラサと呼ばれている居候は少し苦笑した。エラの手は女性にしては骨太で、日々の仕事で少し荒れていた。この家に来てからどれだけこの手の世話になったかわからない。

「でも、あんたもいい加減、頑張るわよね。今朝も早くからやってたんでしょ」
「ああ。色々難しいので、つい‥‥」
「で、どう? なんか思い出してきた? 昔やってた時のこととか‥‥」
「‥‥いや‥‥」
「まあどう見ても、これで食べてた人には見えないものねぇ。やっぱ騎士様だったのかしら? それとも‥‥」
「エラ。勝手な憶測を云うでない。それにこういうことは焦ってもロクなことは無いんじゃぞ?」
エラドゥーラは舅にわかってるわよと言い返し、また居候の男に向き直った。一番喋っているのは彼女なのに食事の進みも一番早いのだった。

「でももしこのまま何も思い出せなかったら、あんた、本気でここで暮らさない? オルメカが帰ってきたら手伝ってやってよ。今まで色んな人がいたけど、根性続かなかったり、もっと栄えてる地方に行っちゃったりで‥‥。オルメカ、絶対にあんたのこと好きになるわ。お義父さんが筋がいいって云うヤツなんてめったに居ないのよ。そりゃ歳は大分上だけど、あんたってば信じられないぐらい体力あるし、鍛裂に対して真剣だし、オルメカは‥‥」

「エラドゥーラ。そこまでじゃ」
クエルボが、瞳を輝かせて話す嫁を穏やかに遮った。ラサは俯き気味になっており、手も膝に下ろしてしまっている。
「‥‥あ、ごめん、なさい‥‥。こんな話、いやだった?」
男は吃驚したように顔を上げると静かに首を振った。
「そんなことはない。とても、有り難いと思っている。ただ‥‥私は‥‥‥‥」

「‥‥ラサ。何事も為る様にしか為らんが、為る様には為るものじゃ。‥‥‥だが‥‥」
クエルボは少し茶目っ気のある微笑を浮かべた。
「この嫁は唐突にこういうことを言い出すんじゃがな。不思議と云った通りになったりする。これから先何がどうなるのか誰にもわからん。お前さんにとって最も良い形になるのが一番だが、その中には今エラが云った道もあると思ってくれたら儂も嬉しい。オルメカはいいヤツじゃよ。お前さんも気に入ってくれると思う」

「ありがとう」
男はもう一度深く頭を下げた。顔をあげ、自分を見つめてくる老人と女に少しはにかんだような笑みを返すと、飾り棚の写真立てに視線を移した。
写真の中ではこの家の主が笑っている。職人というよりどこか学者然とした穏やかな表情だが、10歳近い息子を抱き上げているその腕はまさに丸太のようだ。その腕に手をかけて、息子を夫と囲むように写っているエラドゥーラは太陽の笑み。そして自慢の跡継ぎの脇に立っているクエルボも‥‥。

過去に何があり未来に何が起ころうと、少なくともこの瞬間、この家族が幸せだったことは間違いない。こんな空間に身を置いた記憶がほとんど無いのに、なぜ自分にも「幸せ」のサインが分かるのだろうと、男は思った。


2004/3/8

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