Special 奇跡の扉
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それはまるで、雪に閉ざされた冬の大地を、春の息吹が溶かしていくように。
もどかしく歯がゆくて、けれど暖かく・・・そして、優しい。
偶然ではなく必然の出会いが、未来を形作っていく。今心から、そう思いたい。
何故なら私は、彼が訪れてくれた事に。感謝せずには、いられないのですから。


室内でも吐く息が白くなる事実に気づいて、青年は溜め息を漏らした。
十二月も半ばを過ぎたこの時期に、暖房の類を一切使えないというのは、いかに鍛え上げられた彼の体にもきついものがある。
国際科学防衛機構OZ日本本部。
その中枢を担うメインコンピューターがぎっしり詰めこまれたこの部屋では、それもまあ仕方のない事に思えた。何より彼自身が、この仕事に参加出来ることに誇りを感じていたので。
指の先から思考がすっかり離れてしまっているのを呼び戻そうと、軽く頭を振ったと同時に。弾むように明るい声が背後から降り注いだ。
「赤星くーん!こっちこっち!」
廊下へ続く壁の向こうで手招きしている女性の方へ、赤星と呼ばれた青年は近づいていった。
特に取り立てて美人、という訳ではないが、知性的な瞳と快活な雰囲気が、女性を魅力的に感じさせている。
「何ですか?綾博士」
素直に応じる赤星に、悪戯っぽい視線を向けて、
「仕事中に悪いんだけど、お願いがあるの。・・・ねえ、君はお世話になってる上司の頼みが聞けない程、恩知らずじゃないわよね?」
本能的に嫌な予感を察知して、足が半歩後ずさった。
「と、時と場合によりますけど・・・っ。何なんですか、頼みって」
綾は赤星に更に顔を近づけるようにして、言い辛そうに話し始めた。

うちの娘のことなんだけどね、と。
こんな仕事なもんだから、満足にかまってあげる事が出来なくて。
心配で心配で、仕方がないから。
「だから、お願い!ちょっと様子見てきてくれないかしら?仕事が手に付かないの、アメくれるおじさんがいたら、絶対についていっちゃうような子なのよ・・・っ」
赤星、一歩後退。が、すかさず綾が詰め寄ってくる。
「そ、そんな事いわれても・・・俺だってまだ任された仕事が残ってるんですから!大体、抜け出したのがバレたらどうするんですか!?」
「ふふふ・・・その点は抜かりないわ。田島君!」
親指と中指が音を立てて弾かれると、奥からひょっこり田島が顔を出して、
「大丈夫、君一人が抜けた分くらい、何とか出来るから。内緒にしておいてあげるから、行ってきたらどうだい?」
「今の、ちょっと酷くなかったですか・・・!?」
同情を誘うことに、この場で赤星の味方をしてくれる人間は一人としていなかった。
幼気な青年の背後から忍び寄る、これぞ正しく悪魔の微笑み。
「市民の生活を守るのも、『OZ』の立派な仕事よね?」
項垂れる頭から漏れる溜め息が、白くなって消えた。


天気予報のおねーさんによれば、今年は昨年の平均気温を大幅に下回っているらしかった。先刻感じた肌寒さは勢力を増して、外気に触れる頬を刺した。
前記の経緯により赤星は、閑静な住宅地が立ち並ぶ一軒家の正面に佇んでいる。全面に、色鮮やかなガーデニングが施されていた。桜木博士の趣味なのだと、以前、綾が苦笑混じりに話していたのを聞いたことがあった。
インターホンに反応して、ぱたぱたという小動物が移動するような効果音が聞こえる。
それが途絶えて、今度はべしゃっと何かがつぶれたような音が続いた。
(おいおい大丈夫か・・・)
ゆっくりと開かれた扉の向こう側から、擦り剥いた膝を引きずって、それは現れた。
「どなたですか?」
痛みに顔を引きつらせつつ、笑顔で自分を見上げている。
・・・小さい・・・。
もう少しで口をついて飛び出してしまいそうな、これが赤星の最初の感想だった。頭のてっぺんが、彼の足の付け根にも満たない、幼い少女。
「桜木、瑠衣ちゃん?あ、俺、君のご両親の知り合いなんだけど。
・・・確認もなしにドアを開けちゃ駄目だよ?変な人だったら大変だろ?」
言わずにいられなかったのだ。彼の性格の都合上。
「おにいさんも、変なひとなの?」
「いっいや、そうじゃないんだ!君のお母さんに頼まれて・・・。とりあえず、中に入ってもいいかな。痛いだろ?膝」
これが後のオズリーブス、レッドとピンクの出会いだった。

申し訳ないと思いながらも、家中を探し回ってやっとの事で救急箱を見つけ出し、瑠衣の傷の手当をしていて、ふと気づいた。・・・触れて感じた体温が、やけに高い。
「瑠衣ちゃん、もしかして熱があるんじゃないか?」
「え・・・?そんな事ない・・・・・・っ。」
否定の言葉を発した途端に、瑠衣が咳き込む。小さな額に手を当ててみると、やはり熱を持っていた。
「風邪か・・・。困ったな」
それは赤星自身が滅多な事では病気にならないという事もあったが、何よりこんなに幼い少女に接する機会がなかった為に、その対処法が分からなかった。
ひとまず瑠衣をベッドに寝かせて、持っていた携帯の通話ボタンを押す。
「あー、黒羽?俺だけどさ、子供用の風邪薬と何か食べやすい物買って、今すぐこれから言う住所に持ってきてくれないか?・・・大事な親友の頼みだろ、すぐ来いよ。」
それだけ話してしばらく経つと、インターホンのベルが鳴った。

「普通大事な親友を、突然パシリに使ったりするかね・・・。赤星お前、俺をどこぞのネコ型ロボットと一緒にしちゃいないか?」
不機嫌そうにそう呟いた親友、黒羽健の訴えを曖昧にかわし、その手に握られた買い物袋の物色を始める。
「って黒羽、何なんだこれ・・・。しかも、こんなに沢山」
出てきたのは、いかにも甘そうなケーキ・ゼリー・プリン・・・。どう考えても、彼が好むような代物ではないのに。
「瑠衣ちゃん、だったな。このくらいの女の子が何が好きかなんて、俺に聞かれてもな。この場合、有望さんを呼んだ方が得策だっただろう?どうして彼女に頼まなかったんだ?」
当たり前に向けられた質問に対して、返答に詰まった。
「・・・仕方ないだろ。今大学の論文で忙しいんだよ、あいつ。」
それを受けて、黒羽がやれやれと言いながら肩を竦める。
そう、いつだって彼が最も優先するものは、彼女・・・星加有望の事情だからだ。
「それじゃ、仕方なーく呼び出された俺が、瑠衣ちゃんを看病しますか。で、赤星。お前は氷枕でも作ってこい。」
そうして、連絡をもらった桜木夫妻が早々に仕事を切り上げて帰ってくるまで、二人は瑠衣に付き添っていた。そしてその間中ずっと、黒羽はベッドサイドから動く事が出来ずにいた。
・・・瑠衣がどうしても、小さな右手で掴んだ彼の手を、離さなかったので。



相も変わらず寒さの厳しい、日曜の昼過ぎ。
同じ家のインターホンが、少女に来客を知らせる。
『はい、桜木です』
「瑠衣ちゃん? 俺だよ。黒羽もいる。」
玄関の前で応答をするあたり、以前注意した内容が忠実に守られているようだ。
いつも通りのぱたぱたという特有の効果音が、扉の前まで近づいて止まる。
そして。
「まーじーかーるー!」
「・・・スティック!」
それがいつしか、彼らの間の魔法の言葉になった。



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